スマホが存在しない世界。

そこで生きていたら、わたしは今より誰かになろうなんてしないのかもしれない。

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MBTIなんてなくても自分のことがわかるだろうし、パーソナルカラーなんて気にしない。わたしを構成する要素の把握に、検索エンジンになんてきっといらない。想像でしかないかもしれないけど、なんだかその世界に嫉妬する。

本当は、自分が何者で、何が望みかということを、わたしはわたし自身でわかりたい。スマホなんか使わずに。結局、「こうなったら成功」っていう誰かが決めた価値観による情報に、わたし自身がたどり着いてしまっている。そう、最近思っている。 

何でもそう。自分ならではの「こだわり」みたいな感覚が、どんどん薄れてる気がする。例えば洋服。都会に行けば行くほど、みんな同じ服を纏ってる。ごめんなさい、これはわたしの主観ですが特に平日5日の東京は都内OLファッションを、「検索した結果」に見える。

これを着ておけば浮かない。これを着れば間違いないとか。スマホで検索して出てくるコーデは、きっとプロ目線からもオシャレとされているものだけど、そこに“自分らしさ”っていうエッセンスなんかまるでない。今流行っている某ブランドのアクセサリーだって、どこまで本当に魅力に感じて着けてる?そのアクセサリーに惹かれたというか、「そのアクセサリーを身に着けている=キラキラOL」っていう外から見た一種のブランドが欲しい。そんな心理なのかな。

わたし自身、年末実家に帰省したときも、「他人からの目線を気にしたら?」という嫌味を母親からくらったけど、悪いけど「こだわり」がないってことをもっと気にしたら?って感じ。すみません、私生活の話でした。

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じゃあ、人とは違うファッションしか価値がないのか?と言われると、そうではなくて。

「情報と自分の感性をカスタムする」っていう文化が浸透していったら、もっと自分らしい美しさを見いだせるのかもしれないと思う。だけど難しいと思うのが、身だしなみは最大の自己表現ではありながら、やっぱり評価するのは他人。だから、自分らしさ=他人受けとはなかなかならないわけで。そうなると自分らしさを隠しながらも他人受けを取り入れた方が、まあ事故は少なくはいられるんですよね。うーん、自分らしさって難しい。

ファッションの話ばかりになってしまったけど、人に対してもそうだと思う。よくSNSで見る「いい男性の特徴」だって、それを辿れば誰かの主観的な意見な訳であって…

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「それってあなたの感想ですよね」っていうひろゆきさんの言葉、わたし的、まさに内角ドストレート。自分の目で見て、感じて、判断する。スマホやらPCやら「考える手間を除いた」便利な文明が発展している今だから、求められるのは、かつてのアナログな感性、つまり“昭和レトロ的思考”なんだと思う。

だから、スマホを手放す時間だからこそ生まれる、わたしの中から抽出された感情やら視点やらが、”わたしらしさ”になるんじゃないかな。そしたらわたしらしさをスマホで検索する必要なんて、絶対ないと思うから。だから、今年も無駄なことばっかして、もっと抽出していきたい。2024年も、生々しく、わたしらしく、書いていきます。どうぞよろしくお願いします。