フランソワーズとドミニクが今目の前にいる。それが私の留学の答え

2025年、フランソワーズとドミニクが目の前にいて、私の作ったちらしずしを食べている。ここ日本で。
30歳になる年、私はパリに短期留学した。フランス料理を学ぶためだった。
そのころはまだ円高で、コルドンブルーやリッツといったフランスのお料理学校に行く日本人女子がたくさんいて、そこを出た人たちが雑誌などでお料理や暮らしぶりを披露していた。
私は、そういった王道に今一つ興味が持てなくて、それより人々が普段食べているものを知りたいと思い、個人の料理教室を探して申し込み、そこをやっていたのがフランソワーズだった。本音を言うと、王道料理学校の費用が高かったのと、人と違うところへ行けば誰かが注目してくれて、あわよくば本を書けたりするんじゃないかという姑息で甘々な動機が大きかった。
教室は楽しかった。リタイアしたフランス人や私のような外国人や、お金持ちのお屋敷に勤めるメイドさんや、生徒はバラエティに富んでいた。料理教室なので最後は試食があるし、その時はワインも出た。はっきり言って浮かれていた。
でもそのうち、いろんなところがささくれ始めた。
初歩の初歩のフランス語で往生することもたびたびあったし、パリで出会った日本人たちはいろいろで、話を聞くたびに私はぶれていた。有無を言わせないこの街のパワーに巻き込まれながら、日々が過ぎていった。
食べ物はおいしかった。ちょうど春になるタイミングで、アスパラガスやアーティチョークや、中まで赤いイチゴが旬を迎えていた。ラムやフレッシュのシェーブルチーズなど、お肉や乳製品にも旬があることを初めて知った。
教室でのフランソワーズの説明はレシピから少しずれていたりして、それもフランス的だなあと思っていたけれど、彼女が力を入れていたのは料理の作り方より、食材の旬や、その料理が生まれた地方や背景の説明だった。もともと田舎育ちの私は、ありがたいことに野菜や魚の旬は体にしみこんでいるのだけれど、そのころはそれを無視してしまっていたことにフランスで気づいた。
当時借りていたアパルトマンは某高級デパートの近くにあって、食材はそこで買うことが多い、と言った時のフランソワーズの返事が忘れられない。「なんてスノッブなの!」
約3か月の留学を終え、その5年後に彼女が教室を閉める年に再び3か月通い、その後は旅行でパリに通った。
パリに行く、と連絡すると、彼女は必ず自宅に招いてくれて晩御飯をご馳走になった。もちろん家庭料理だ。私のレシピのヒントにさせてもらったお料理もある。
コロナになり、渡航が難しくなっているうちにあれよあれよと円安になり、私も離婚したりして、パリ行きは遠くなった。しかしそのうちに、私は料理の仕事をするようになった。本はいまだに書けていないけれど、その時その時の旬をまず大切にすることは、パリから持ち帰った一番大切なものだ。
ある日ふと、フェイスブックを検索したら、フランソワーズはアカウントを作っていた。そしてSNSでやり取りをするようになった。
以前はメールしかなかったから、本当に便利になったものだ、と思う。それにもまして、70歳過ぎて意欲的に電子機器を駆使しているフランソワーズをすごいと感心するし、そのおかげで連絡が取れているのだからありがたい。
そして今年、フランソワーズと夫のドミニクが、観光で日本にやってきた。80歳近い二人の動きは幾分ゆっくりにはなったけれど、その年齢にありえないほどの健脚ぶりと、スマホや交通系ICを使いこなして自分たちでどんどん行きたいところへ出かける意欲に少し安心した。
フランソワーズとドミニクが目の前にいる。そのことが、私が留学したことの答えなんだと思う。近いうちに、パリに行こう。フランソワーズの晩御飯によばれるために。
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