2017年8月9日。
私が思い出す中で、人生で一番汗をかいた日だと思う。

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遡ること8年前。大学生だった当時の私は、平和学習のために全国から集まった大学生や社会人とともに長崎に滞在していた。8月9日は長崎に原子爆弾が投下された日である。

平和学習初日である8月8日。「私にとって平和とは?」という問いに対して、自分なりの答えを出すことから始まった。その後「私たちは、直接話を聞くことができる最後の世代」と言われ、3名の被爆者から体験談を聞いた。その中の1名から「被爆はしているが当時はまだ幼くて記憶はない」と言われたとき、本当にタイムリミットはすぐそこまで迫っているのだなと感じた。

そして8月9日。全国から集まった大学生や社会人とともに、長崎市内を班ごとで歩き回り、さらに学びを深めた。
当時はまだ「危険な暑さ」という言葉は、今ほど日常的ではなかったと思う。それでも朝から歩きつづけた私たちは、全身から汗が止まる気配がなかった。
たしかその日の天気は曇り時々雨。湿気と汗が全身にまとわりつくあの嫌な感覚が、私を覆っていた。

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長崎平和祈念式典が行われる平和公園に到着したときには、雨が止み、日差しが差し込んできた。そこからさらに汗がふき出してきたのを覚えている。
公園の近くでは、スピーカーを通して大声をあげる人たちもいた。何を訴えているのかまでは聞き取れなかったが、スピーカーから声は途切れることなく続いていた。私たちはそんな人たちを背に会場へと足を運んだ。会場に到着すると、熱中症対策としてペットボトルの水が配布されていた。私はただ「ありがとうございます」とだけ言って受け取った。

式典では「献水」の時間がある。
原爆の熱線に焼かれ、水を求め続けていた犠牲者へ向けて、祭壇に水を献げる儀式だ。静かに水をささげている背後からは、まだスピーカーの声が響いていた。
そして、黙祷の時間。その瞬間だけは、長崎全体が静寂に包まれた。「平和を願う気持ちは同じなのに、どうして対立してしまうのだろう」と思いながらも、さらに長崎を歩き続けた。
宿泊施設に戻ったのは夕方。施設を歩きながら「汗まみれだから、先にお風呂に入りたいよね」とみんなで言いながら、学習会場へ移動。1日を通して平和について考え、意見を交わす時間があった。
そこで同じ班の子が言った「あのとき、たくさんの人が求めていた水を、私は簡単に受け取ってしまった」という言葉が、今でも私の中に残っている。
私が熱中症対策として受け取ったものも、入りたかったお風呂も、あのときの私がいた街でみんなが求めていた水だ。

前日に聞いた話の中に、「耐えきれず川に飛び込んだ人がいた」という話がある。命の危機に追い込まれて求める水と、予防や衛生のために求める水は、重みがまったく違う。
今の生活は当たり前ではないと頭では分かっていても、無意識のうちに「当たり前」だと思ってしまっていることに気がついた。前日聞いた話の中には「亡くなった人が転がっていることは不思議なことではなくて、当たり前だった」というものもあった。

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私が思う当たり前とは、どんなに特別なことなのだろう。

8月10日最終日、「私にとって平和とは?」という問いをもう一度投げかけられた。
今の当たり前を当たり前だと気づかないことが、私にとっての平和だと思う。目の前に広がる世界に色がついていることが平和だと感じている。

今でもコンビニや自動販売機で飲み物を買うとき、この日のことを思い出す。当たり前に手に入る水のありがたさと、命をつなぐために求め続けた人たちがいたということ。
ニュースで見る画面越しの世界ではなく、飲み物の先に広がる色を見て、また今日もこの時間が永遠に、そして今は違う地域にも広がり続けば良いと願うばかりだ。
そしてなにより、この国では私たちが戦争の体験を聞く最後の世代でありたい。