私は留学経験がない。けれど帰国子女という肩書があるせいで、「英語ペラペラでしょ?」と誤解されてきた。実際の私は、帰国子女なのに英語を流暢に話せない自分にコンプレックスを持っている。だから、自分が帰国子女であることを隠して生きてきた。

◎          ◎

父の仕事の都合で、小学生から中学生のうち5年間をシンガポールにある日本人学校で過ごした。生徒は全員日本人で、授業も主要科目は日本語で行われる。一方、英会話や水泳の授業は全て英語で行われ、街を出れば英語で話す機会はもちろんある。日本の学校にはない、現地校との短期交換留学やホームステイ制度があった。

日本で暮らしているより、英語が上達するチャンスに恵まれている。けれど、私は英語が学びたくて海外にいるわけではない。一生海外にいるわけではないから、英語は将来困らない程度にわかればいい。そう思い、積極的に英語を学ぼうとしなかった。

転校したばかりの頃は、「英語を話す」という行動そのものが恐ろしく、話す機会をいかに回避するかばかり考えていた。友人とファーストフード店に行っても、注文は英語が話せる友人に頼んだ。

しかし、どんなに英語から逃げ回っていても、海外で生活する限り英語で話す機会は否応なしに訪れる。授業で英語が聞き取れず先生に叱られ、涙目になりながら授業を受けた。そうしているうちに、全く聞き取れなくてただの音だった英語が、徐々に言語として意味を持ち、聞き取れるようになってくる。イエス・ノーの使い方さえ危うかった私が、ファーストフード店で間違った商品を渡された時に「これはオーダーと違います」と言えるようになっていた。

◎          ◎

小さな成長を重ねるうち、あと1年で帰国というタイミングがきた。そこでふと思った。
「もっと積極的に英語を学べば良かった……」と。

転校当初より英語が話せるようになったとはいえ、言葉に詰まると「えーっと……」と、しどろもどろになってしまい流暢な英語には程遠い。帰国前に、少しでも「英語が話せる帰国子女」になりたくて、現地校との短期交換留学に応募した。たった1週間のプログラムであったが、私は留学生になった。

生徒は皆シンガポール人の中、たった一人の日本人留学生として現地の中学校で1週間を過ごした。結論から言うと、授業は全くわからなかった。先生や生徒は私に優しく接してくれたが、会話のスピードに全くついていけなかった。応募したのは自分なのに、なんで私はここにいるんだろうと思ってしまった。

母国語が通じない環境の辛さを痛感した。転校当初のように、今にも溢れ落ちそうな涙を、残されたわずかなプライドで堰き止めるしかなかった。「英語が話せる帰国子女」になりたかったが、2日目であっさり諦めた。

交換留学の最終日。沈んだ気持ちのまま学校を後にしようとすると、別のクラスの生徒が私に話しかけてきた。世間話程度の会話だったのだが、最後にその生徒が私に言ってくれた一言が今でも忘れられない。

「あなた英語、上手だね!」

英語がペラペラな人と比べれば、絶対に上手ではない。しかし、交換留学を含めた私の海外生活は絶対に無駄ではなかった。あの生徒が伝えてくれた最後の一言は、英語の神様が、帰国前に私に捧げてくれたプレゼントだったのだと思っている。

◎          ◎

帰国して20年近く経ち、相変わらず流暢に英語は話せない。けれど、外国人に話しかけられても堂々としていられるし、英会話以外の場面でも度胸がついた。社会人になり、海外で一人旅もできるようになった。英語と向き合ったあの日々は、私の心を確実に強くしてくれた。そして今では、そんな私の海外経験を誇りに思っている。