学生時代にとある国に留学をした。決して長期間ではなかったが、今の私を形作る一つの重要な経験になった。ガクチカでは、語学と行動力をアピールするエピソードとして使ってきたが、ここではわたしが留学を通して向き合った、もう一つのことを書きたい。

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大学生当時、わたしはとても生きにくさを感じていた。それは、学校に対してなのか、将来への不安に対してなのか、よくわからなかった。環境が自分に合わないのか、自分の内面なのか。とにかく、今ここから逃げたかった。学生が環境を変えるには、留学の制度を使うことが手っ取り早いと思った。

お金をもらって環境を変えることができる、その制度をどうしても使いたくて、試験に通るために勉強をした。試験と面接に受かった連絡がきたときは、自分の学力が伸びた手ごたえや努力が報われた気持ちよりも、得点がぎりぎりだったことを恥じた。
自分の歩みを肯定することができない感性が本当につらかった。

無事に渡航することになり、留学が始まった。初めて目に映るものばかり、自然が綺麗な国、なにより誰も私を知らない環境。わたしをやりなおせる、と思った。

勉強が大変、単位を落とす不安、体調を崩しても病院で言葉が通じない。大変なことはあった。それでも、一つ一つを引き受けて向き合っていった。

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そんななかでも、自分ではどうにもできない困難さがあった。追い詰められると、とある悪夢を見て叫んで起きるようになった。その夢には、決まった人が出てきて、理想の成績をとることができない私を責めた。私が関係に問題意識を持ちながらも向き合うことができていない人だった。

遠く離れた国に逃げてまで、私の中にその人はいたのだった。留学期間中は何度もその夢を見て、どうにか留学期間は満了したが、留学してもわたしは私を肯定することができなかったという絶望感が残った。

そういった無力感からか、帰国後、メンタル不調に悩むようになった。留学をもってわたしは私を肯定し、生きづらさは終わるはずだった。環境を変えてもだめなら、自分の内面と向き合うしかないと、カウンセリングに通うようになった。それ以前にも一度通ったが、自分と向き合うしんどさに耐え切れず、数回でやめてしまっていたのだった。

二週に一度、カウンセラーさんと二人で話をした。通っていることを誰にも知られたくなくて、こっそりと通っていた。私の内面の話をする。ここでしか会わない人に。

就職が決まらないまま大学を卒業したり、カウンセリングと通院以外は外に出ることができない時期があったりと、波はあったが、カウンセラーさんとの秘密の内側の探索だけは続いた。カウンセリングで話して、次の予約をして、その予約日までとりあえず生きる。それはまるで、暗闇の中で少し先に街頭が小さく見えるような感覚だった。

不思議な時間だったけれど、数年続いたその時間は、国外逃亡でも満たすことができなかった私を探す時間だった。

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結局私は、留学で環境を変えた結果それでも自分から逃れることはできないのだと知った。逃げていた内面の問題に対峙するきっかけになった。そこから一度は挫折したカウンセリングに、今度こそはと数年腰を据えて通った。

あの時、国レベルで環境を変えたからこそ、どこかに桃源郷があるわけではなく、わたしがこの器に入っている限り、わたしとして生きていくのだと腹をくくることができた。

理想的な留学経験ではなかったかもしれないけれど、あの時のあの絶望のおかげで、今のわたしができています。留学に挑戦してくれたわたしも、その後自分と向き合ってくれた私も、それを支えてくれた人たちも、ありがとうございました。