私にとって「夢を持つ」ということは一意に定まらない。
夢は私に、喜びや苦しみや絶望を教えてくれたからだ。

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声優になりたかった。小学生の時、弟の習い事に夢中だった両親の代わりに私の対話相手となってくれたのは、漫画やアニメだった。
中でも私に衝撃を与えたのは偶然TVから流れてきた新海誠さんの作品「秒速5センチメートル」。その作品は、私の目に映る世界を美しくした。新海誠さんの作品に出演するのが夢だった。その時は本気で叶うと信じていた。

高校の受験先を考える時、改めて声優に挑戦してみたいと思った。
うちには大学に行くお金はないと育てられてきたので、高校卒業後には就職しなければいけないのであれば、定時制の高校へ進学し、バイトでお金をためて、養成所やレッスンに通いたいという思いがあった。

その思いは、父親の「親孝行だと思って全日制の公立高校に行ってくれ」という、愛情を人質にとったその一言に負けてしまった。高校の制服は自分のお年玉貯金で買った。進学した高校は原則バイト禁止だった。せめてもの抗いとして、演劇部に入部して、芝居や表現に触れた。

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高校卒業後の進路について、どのような形でも良いから、芝居という表現に関わっていきたい、と考えるようになった。進路面談の際、担任の先生には「水商売」と否定された。一方、部活の副顧問は「大学に行くべきだ」と言ってくれた。

両親にも自分で奨学金を借りて大学に行きたいと話をしたが、「奨学金は借金」と一蹴され、断念せざるを得なかった。私は地元で就職することにした。小学生のころから大学に行かせるお金はない、と言われて育った。私が高校卒業後もこの土地で生きていくという前提で育てられ、大学に行かなくてもなんとかなる、結婚すればいいと言われていた。私は親の理想とは全然違う道を歩こうとしていた。世間知らずだった私は、お金がなければ夢は見れないのだと絶望した。

部活の副顧問にそのことを伝えると、いつもは飄々としている副顧問の顔が少し残念そうに見えた。私はちょっとだけそれに救われた。
「やりたいことはないけどとりあえず大学に行く」「役に立つか分からないことを学んだって良い」という価値観があることを知った。その道を歩める人が非常に羨ましかった。

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結果的に私は夢を諦めきれず、自分が働いたお金で養成所に通い、上京した。自分のお金で自分のやりたいことをやる、清々しい気持ちだった。

上京して1年経つ頃、コロナウイルスの影響で収入源が断たれ、養成所も閉鎖した。

経済的にも精神的にも夢を追い続けるのは苦しかった。自分で自分を洗脳し、意地で夢を見続けていた。大好きだったアニメも漫画も悔しくて見れなくなっていた。

いつの間にか夢が呪いになっていた。

苦しい日々の中で私の幸せについて考えた。朝の日差しに感動すること。お茶を入れて本を読みながらゆっくりすること。大切な人とおいしいご飯を食べること。この幸せを実現するのに夢は必要だろうか。

夢を諦めるのは言葉で表せない程悔しく、苦しかった。自分には向いていなかった、そう言い聞かせる度、夢に出会ったあの瞬間を思い出す。

「ねぇ、知ってる?秒速5センチメートルなんだって。桜の花の落ちるスピード」(引用:新海誠『秒速5センチメートル』)

このような素敵な作品と邂逅したかった。誰かに同じ感動を与えたかった。

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もっと顔が可愛かったら。もっとタフで器用だったら。もっと愛嬌や自信があれば。もっと早く始められていたら。叶わなかった理由は恨みになって、他人への嫉妬に変わった。そんな自分が嫌だった。でも、悔しくて、泥のようなその気持ちを簡単に片付けることはできなかった。

夢と幸せを天秤にかけた結果、私は自分の幸せを大切にすることに決めた。私は私を幸せにすると、夢を追いかけていた過去の自分に宣言し、夢を諦める自分を受容することにした。

夢を持ったことに後悔はない。夢を持たなければあのまま地元で誰かの言いなりになって、息苦しさを感じながら生きていたかもしれないからだ。あの日、美しいアニメに出会ったことで私は夢を持ち、夢を諦めた今も、私は自分の人生を生きている。

私は知っている。私が「やってみたい」と願ったら、自分の人生を動かせるということ。
儘ならないこともあるけれど。

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夢を持つこと、それは希望だ。
夢を持つこと、それは呪縛だ。
夢を持たないこと、それは自分を大切にするということだ。
夢を持つこと、それは人生を楽しむための充電器を持つということだ。

私の人生は面白い。