漫画を読んでる人の大半は学生時代、将来「漫画家」志した人が多いのではないかと私は思う。

高校生時代「鬼滅の刃」を読んで、自分が想像したオリジナルキャラクターが、鬼滅の刃のキャラたちと掛け合いながら活躍することを妄想したり、アニソンのopを聞いたら頭の中で自分創作のアニメを作って楽しんだりよくした。

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しかし、夢は叶わなかった。いやそもそも私は夢のスタートラインに立てないことを痛感した。なぜなら私は絵が下手なのだ。人物がうまく描けない。鬼滅の刃で大好きな童磨が描けない。まず私は正面顔しかけず少し斜めに向いていたら顔が崩れる。後、髪が描けない。特に毛先の跳ねは、もはや粘土の塊であった。絵がダメなら物語を書こうと思うも自分が納得するものを書けない。どんなに考えてもオチがでない。考えようとしても頭が痛くなることがつづいた。

そのせいでpixivで他の人が書いた小説を読みあさってニヤニヤするばかりであった。もし、漫画研究部にはいったらうまくいっただろうに。その時はテニスにハマっており、テニス部だった。私は本当は漫研と兼部したかったのだが当時は部員が少ないためできなかった。完全に詰んだのだった。私は漫画家になれないんだろうなぁと思い、いつのまにか社会人になっていた。会社ではうまくいかず、仕事ができないから悪口も聞こえ後輩に出世を先越されながら憂鬱な日々を過ごしていた。

気づけば適障害になっていた。そのことは会社に伝えた。上司に理由を聞かれたが本当のことを言えず、薬でとりあえず治療していると伝えた。しかし伝えたにもかかわらず、症状が軽いと判断され特に配慮されなかった。親には会社に行くのがとてもしんどいと伝えた。私の親は、会社を訴えようとしたので慌てて制止した。わたしは絶望しながら毎日通勤した。この時、漫画を描ける技量があれば会社でうまくいかなくても幸せだなと思っていた。

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ある日、ふと絵のスクールはないかと検索してみたら月に5000-10000円の通信スクールがあることを知った。目から鱗だったが最初は絵を描くことだけにお金を使うのは勿体無いと思い諦めた。

2024年12月に転機がやってきた。それは忍たまの映画が公開されたことだ。スクーンで動く雑渡昆奈門は強くて感動した。Twitterで雑渡昆奈門の感想やイラストを見るたびに嬉しくなり、漫画を描きたい気持ちが強くなった。気がつくと、イラストスクールのホームページを開いていた。おいおい、たかが絵だろ?お金はこんなことに使わず貯金しないと、私は一瞬躊躇った。
しかし自分が年取って絵を一生描けなければ後悔する気がした。

それに、私は何か変わりたかった。せっかくの人生だから挑戦したい。そして私は夢のスタートラインに立つために申し込みを決意した。

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その後、会社での憂鬱は変わらないが絵を描くことが習慣になった。絵を描くことで多少心が落ち着いた。今では、二次創作のネタを考えることが楽しみになっている。いつか自分オリジナルの漫画を描くことを夢を見ながら