自分が休める場所、自分のことを考えられる場所がほしくて
初めて海外に行ったのは小学校5年生の時だった。区の研修プログラムに参加した私は約1週間、オーストリアに行った。
初めての海外で、英語もドイツ語も話せない私にとって、そこはまさしく未知の世界だった。見たことのないものにあふれ、まったく言葉の通じない人たちがいて、私の生きてきた場所は狭い、私はもっと世界を知りたいと思うようになった。
中学生の時だった。母は乳がんの治療を重ね、弟は病気から学校に行けなくなり、家は毎晩両親の喧嘩が絶えなかった。
私は学校のクラスで任されたリーダーの役割を上手くこなすことができず、一部の人たちから陰口をたたかれ、嘲笑の的にされ続けた。友達の存在で何とか保てたものの、日々の生活で家にも学校にも居場所のなさを感じ続けていた。
ここから抜け出したい、外に出たいと思った。自分が休める場所、自分のことを考えられる場所がほしいと思った。
自分をこれほどまでに愛してくれる人たちがいることに感動した
高校に上がって転機が訪れた。学校を通じて初の海外留学プログラムが組まれた。英語が得意だった私はそれに飛びついた。
藁にもすがる思いとはこのことだった。3か月と1年があったが、3か月じゃ短すぎると思い、迷いなく1年を選んだ。当時の私の英語資格はぎりぎりだったが、何度も試験や面接を受け、何とか1年留学を実現させることができた。
留学先はオーストラリアだった。南半球に位置するこの国は、日本とは季節が真逆なものの、住んでいた場所の日本との時差は1時間しかなかった。
オーストラリアではどこへ行っても歓迎され、日本との差に驚いた。何より、ホストファミリーの家族愛に驚かされた。自分をここまで受け入れてくれる人たちがいるとは思ってもいなかった。実の日本にいる家族より愛されているとさえ思った。
自分の身につけてきた特技や趣味は、すべて交流の輪をつくることに活かされた。言語の壁や文化の違いに戸惑うことももちろんあったが、自分をこれほどまでに愛してくれる人たちがいることに感動した。
他人からの評価が自己肯定と否定の大部分を占めていたわたしにとって、そのままの自分を受け入れてくれる存在は、幼いころの無邪気で明るい自分を思い出させ、取り戻させた。同時に、自分に対する自信が芽生えてきた。
自分をまっさらにしてくれ、新しい世界を見せてくれる旅
1年たった自分は、日本で鍛えられた強力なメンタル壁を張れる人間であるだけではなく、そこに自己肯定感があり、自分の意見を言える人に成長することができた。
旅は自分をまっさらな状態にしてくれる。旅先で関わる人は自分の過去を知らない人がほとんどで、だからこそ過去を気にせずいちから関係を築くことができる。自分の知らない場所に身を置くことは戸惑うこともあるけれど、自分の知らない世界を見せてくれることでもある。
それは、環境を変えることに似ている。環境が変われば自分が関わるものや人が変わり、自分が変わるきっかけにもなる。
また自分がいた場所を離れることは、やがてその時の自分を客観視することにもつながる。私の場合、日本にいたときの自分が苦しさで視野が狭まっていたこと、陰ながら応援してくれていたたくさんの友人の存在に気づくことができた。
オーストラリアから帰国してから海外には出かけられていないが、京都や熱海には旅行に行った。
どこに行っても感じるのは、自分をまっさらにしてくれること。旅の前のことを忘れさせてくれ、新しい世界を見せてくれる。私が私であるために、私自身をアップデートしていくために、私はこれからも旅を続けていきたいと思う。