家が決まらないまま向かったフィンランド。当たり前に感謝するきっかけに

大学4年生の春。就職活動の過程で、「自己分析」「学生時代に力を入れたこと」…さまざまな切り口で、ひたすら自分自身のことを考える修行をするうちに、「わたしには何もない」という壁にぶちあたっていた。
思えば、いろいろな理由は半ばこじづけで、「学生の間に何か、わかりやすいことを成し遂げたい」という焦りを出発点に、わたしはフィンランドへの長期留学を決意したのだと思う。
大学の成績も英語の実力もふるわず、すべて己の努力や準備の不足のせいなのだが、交換留学の枠を勝ち取れなかった。それでも、なぜ留学するのか、どんな方法なら実現可能なのか、自分なりに調べて考えて、たどり着いたのがフィンランドだった。当時、フィンランドのいくつかの大学ではフリームーバーという制度があり、交換留学協定のない大学から、自己推薦による学生の留学を一定数認めていた。学費は交換留学生と同様に無料で、かかるのは生活費のみ。他のさまざまな留学方法に比べて大きく費用をおさえられる、ありがたい制度だった。
本来は、他の交換留学生と同様に学生寮を用意してもらえるはずだったのだが、交換協定のある大学の学生が優先であり、フリームーバーは後回しで(それはそう)、留学生の多かった夏セメスターでは、自分には寮の部屋が準備されていないことが分かったのは、学期の始まる約2ヵ月前のことだった。通常の賃貸物件は約9か月という短い期間で借りられるところは見つからず、留学先が地方都市のため民泊やホームステイの物件もなかなかなく、ホテルの長期滞在プランは売り切れで、部屋探しは困難を極めた。SNSでようやく見つけたサブリースの物件は、住所とマップの情報の比較からおそらく違う国の部屋の写真だと気づき、どうやら詐欺らしいと分かったときには、出発1週間前になっていた。
まずは到着後1週間分のホステルをおさえて、不安に泣きながら飛行機に乗り込んだ。いまのところ、人生32年生きてきて、後にも先にも、あの頃以上の心細さを感じたことはない。社会人になり、仕事でイギリスに赴任したときも、「英語で仕事ができるのかは不安だけど、とりあえず家があるから大丈夫」と思えた。当たり前のことに感謝しようとはよく言われるが、自分にとって、家があることのありがたみを心の底から実感する経験になった。
その後、フィンランドで出会う人に手あたり次第家がない話を相談するうちに、同じように寮が用意されなかったフランスからの留学生に出会い、また紆余曲折あって家を紹介してもらえることになり、彼女と半年間のルームシェア生活を送った。
「何かを成し遂げたい」という漠然とした焦りから始まった留学生活。わたしが乗り越えた最大の困難は留学中ではなく、渡航前後の家探しだったように思う。どんなときも「家さえあれば大丈夫」という心強いお守りと、かけがえないルームメイトの存在を、その後の人生にもたらしてくれた。わたしがもっと計画的で用意周到であれば、経験しなくてもよかった苦労にも思えるけれど、人生万事塞翁が馬、だよね。
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