夢は持たない。自分の身に起こることを淡々と受け入れていくだけ

「夢」は持たないようにしている。持つこともできるんだろうけど、私にとってそれはワクワクするようなことではなく、理想と現実の間で自分を苦しめることだからだ。
14歳の時に難病だと診断された。この先、高校受験や大学受験があって、どの仕事に就くか。そうやって自分の将来についてより具体的に思い描いていく時期だった。とは言え、この時点では私はあまり将来に悲観的ではなかった。病気についての知識が浅かったということもあるが、「薬さえ飲んでいれば普通に生活できます」という医者の言葉を大いに信じていたからだ。
第一関門である高校受験の志望校を決めるときも、自分が一番行きたいと思う学校を選んだ。家の最寄り駅から電車で20分。学校の最寄り駅から自転車で15分。雨や雪が降れば徒歩40分弱。なんともアクセスが悪い学校だった。通信制の高校や電車に乗らなくても行ける高校も候補に上がったが、本当に行きたい高校でなければ行きやすいとしても気持ちが続かないだろうと、本命の学校以外の選択肢を跳ね除けた。
果たして通うことになった第一志望の高校。2週間〜1ヶ月に1度くらいのペースで通院しながら学校生活に挑んだ。とにかくまず学校に登校することを第一優先にした。友達と遊ぶとか、部活で活躍することなどは二の次だった。神経質に体調管理に努め、通院や体調不良で受けられなかった授業に置いていかれないように必死に勉強した。しかし、高校一年の夏をピークに、私の体調は降下し始めた。あっという間に遅刻・早退・欠席の回数が増えていく。私は焦っていた。薬はしっかり飲んでいるし、出来うる限りの体調管理もしている。「薬を飲んでいれば普通に生活できる」のではなかったのか。そう思っているうちに入退院を繰り返し、救急搬送もされた。
憧れの高校に入ることができて嬉しかった。やりたいことだってたくさんあった。その気持ちを嘲笑うかのように身体は全く言うことを聞かない。精神的にもつらくなり、入院中のある日主治医の先生に聞いた。どうすれば動けるようになるの?他に治療としてできることはないの?何か少しでも希望を持ちたかった。良くなるという夢を見たかった。「諦めてください」と先生は言った。「頑張ろうとすれば必ず身体のどこかで不具合が出る。それでもいいからやりたいと思うことだけやったらいい。でも、体調が悪くなることは覚悟しなさい」と。
未来があるはずの17歳には厳しい言葉だった。怒ったり泣いたりと私はかなり荒れた。しかし、しばらくすると気持ちが少し楽になっている自分もいた。あれだけ苦しかったのは、どうにもならないことに対して、どうにかなるはずだと無謀にも抗い続けていたからだと気づいた。
以来、夢を持つことや将来に期待することはしないようにしている。私はこれを「諦め」ではなく「受け入れ」だと思っている。夢は持たない。自分の身に起こることをその時その時淡々と受け入れていくだけ。私が穏やかに生きていくのに必要なのはそういう気の持ちようだったのだ。
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