結婚と子育ての良さを熱弁されても未婚でいたい

3年半前の11月に従兄が結婚し、翌年5月には彼らに長男が誕生した。従兄夫婦は端から見ると夫婦としても親としても、見本のような良い家庭をつくっていて、コロナ禍前はよく私の叔母(従兄夫婦の両親)宅に顔を見せに来てくれ、私もお呼ばれした。

ほとんどと言っていいほどぐずりもせず、泣きもせず、にこにこと笑う赤子。
私の母、叔母を筆頭に、祖母、大伯母ら「母親」たちはいかに子育てがたのしく、人生において大切な時間だったかを毎回語り合う。
母方の家系で唯一女の私は、「一生未婚・こどもは要らない」宣言を前々からしているが、「結婚は良いことだよ」「こどもを育てることは人生経験として必要だよ」と口々に私に結婚と子育ての良いところを熱弁してくる。

私は別に両親と不仲というわけではない。2年前に大学がオールリモート授業になってからは、下宿を引き払って実家に住んでいる。さらに言うと、今年入学した大学院が対面になった今では、実家から往復5時間かけて通学している。
「仲がいいから」、「親元を離れたくないから」というよりは、「愛犬と一緒にいたい」のと、ぶっちゃけると「引っ越しするお金がない」からだが。
虐待などをされたことはない(叩かれたことは数えきれないほどある)けれども、価値観が合わないなと思うことは何度もあった。
親元で育った20年で、私は自分を肯定することができなくなっていた。

身体に自分以外の生命が宿るなんて。子どもを持つことが怖い

私は、「こどもを持つ」ことに、とてつもない恐怖を抱いている。
まず一年間、自分の身体に他人を入れておくこと。自分よりも他人を優先し、他人が身体のなかにいることで自分が体調不良になることを受け入れ、我慢する。そして交通事故に遭ったのと同程度といわれる痛みに耐え、産む。
自分の痛みにも耐えられないのに、他人のために痛みに耐えるだなんて、無理だ。
そして、「こどもを持つ」ことは、自分とは全く異なる自我と意思と身体をもったヒトを、自らの手で産み出し、育てるということだ。
恐ろしい、という感情しかない。
それは、自分が人間として欠陥品だからだというのもあるのかもしれない。
欠陥品の私がまっさらなヒトを一から育てる? ……恐ろしい。
恐ろしい。
恐ろしい。
恐ろしい。
自分の育て方ひとつで、ひとりのヒトの生き方や人生が左右される。
これ以上に、恐ろしいことがあるだろうか。

私は、出来ることなら、自分で産まれる環境や家庭を選んで人生をやり直したいと思っている。
この家庭に産まれたことで、潰された可能性や消えた自己がたくさんあることだろう。
「親と価値観が違う」ことで、かなり苦労してきた。その思いを、私の産んだ子が同じ思いをしないと、どうして言い切れるだろうか。

そして、自分でさえ生きることに疲れ果てて絶望している世界に、自分の手で新たなヒトを誕生させることが、どうしても喜ばしいことだとは思えない。
息苦しい世界に、自分の手で、新たなヒトを呼ぶ。
身勝手で、残酷で。とても、恐ろしい。