「後悔するならやってから」私は夢を言語化できないまま、夢を叶えていく

1997年生まれ。同年代の俳優がNHKの朝ドラで主役を演じ、輝いている。それに比べて私は。
夢さえ、見つかっていない。
やりたいことは、山ほどある。ただ、それらを消化しきれない。
日々の慌ただしさを理由に、消化不良を起こし続けている。
「夢なんて、興味関心の赴くままに動いていればそのうち見つかるだろう」
こんな風に気楽に構えていた学生時代。
しかし社会人となって、はや4年。一人の大人としての体裁を保つことに精一杯で、夢を見つけることはおろか、気がつけば自身の興味関心を行動に移すことすら、満足にできない日々を送っていた。
平日は最低でも1日に8時間労働し、自由時間はそこから更に家事と睡眠を除いた数時間。
大人になるということは、時間の有限性を認識することだ。
そんな中でも、私は夢を探すことを諦めたくないと思っている。
なぜなら、私にとって夢を探すということは、自分探しと同義であり、その過程は、自身の感情を無視することなく丁寧に分析し、真摯に向き合うことだと考えるからである。
私は、自分を大切にするために、夢を探し続けているのだ。
社会人生活という時間の無い中でも自分を大切にするために、私は今年から、興味関心ごとや、日常の些細なことをノートに書き留めるようにしている。興味関心ごとは、その大小に関わらず、自分自身の感情から生まれるものだ。それらを取りこぼすことなく、やりたいこととして言語化する。そうすることで、客観的に自分と向き合うことができる。
こうしてやりたいことを言語化していった先に夢が見つかると、私は信じている。
夢を探す理由は、自身の座右の銘にも関係している。
「後悔するならやってから」
我ながら、この座右の銘には忠実に生きてきた。そして、それによって得られたものが、これまでにもたくさんある。
自分で言うのも何だが、中学時代はガリ勉だったので成績が良く、そのまま内部進学した高校では、勉強をガッツリやらされる、いわゆる進学クラスに在籍することになった。
高校3年間を勉強に捧げると固く決意表明するクラスメイトをよそに、私は中学時代から絶対に入ると決めていた部活に入部届を提出し、勉強と部活の二足の草鞋を履くことを決めた。部活は先輩後輩の上下関係が大変厳しく、練習で毎日の休み時間と放課後を犠牲にしたが、おかげで精神面と体力面、両方の意味で忍耐力がついた。さらに、青春の思い出と一生の友人も得た。
また、高校3年間、勉強と部活の両方に全力投球した結果、自己管理能力にはかなり自信がついた。
大学時代には、親の反対を押し切り、1年間休学してインターンシップなどの学外活動に励んだ。
休学したことで他者と違う選択をすることへの抵抗感がなくなった。インターンシップに参加したことでコミュニケーション能力に自信が生まれた。
このような成功体験があるので、私はやりたいことは多少無茶してでも実現したいと常々思っている。
やりたいことを実現することは、必然的に、その先にある夢を叶えることにも繋がる。
冒頭で私は、自分の夢さえ見つかっていないと言ったが、より正しくは、「まだ自分の夢を言語化できていない」という状態にある。
何か成し遂げたいものがあることは自覚しているが、それがうまく言語化できていないのだ。
だが、私は、それでもいいと思っている。
私は私の夢を言語化できないまま、夢を叶えていく。いつかどこかの時点で言語化できれば、それでいい。
「夢はありますが、言語化はできていません。でも、夢を叶える為に常に行動しています」
このような夢の持ち方があっても良いのではないだろうか。
これからも私は、やりたいことを見つけては、消化不良を起こしながら一つ一つ実現していく。
それは、どこからともなく落ちてくる夢の欠片を、見落とさないように集めるような感覚である。
私はそれを宝探しのように、楽しんでいく。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。