専門学生の頃、私の夢はファッションデザイナーになることで、あの頃の私はとにかく一直線に突き進んでいた。
夢に向かう道は何通りかあれど、ゴールは1つ。ゴールに向かう道に自分を沿わせるように毎日を積み重ねていた。

デザイナーになる。それ以外の選択肢はないからこそ、迷う必要もなかった。

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夢を持つって、多くの人は「叶えるのが大変だ」と言う。
だけど当時の私にとっては、夢を持っていてむしろ楽だった。
なぜならやることがはっきりしていたからだ。今日やるべきこと、明日目指すこと、少し先の目標。

それらを一つずつクリアしていけばいいだけだった。
小さなゴールを積み上げるたび、私は自分を認められるし自信も生まれた。
そして「迷わない」という状態は、私にとって何よりのストレス軽減だった。
多少しんどいことがあっても「やらなきゃいけないことが決まっている」ことほど、歩みやすいものはなかった。

その道を叶えきった今、私はそれらを横に置いて、新しい挑戦に向き合っている。
ずっとやりたかった留学を経験し、帰国を控えている今、目の前には真っ白なキャンバスが広がっている。

道がいくつもあって、どれを選ぶこともできる。
「ここからどこへ行こうか」と考えるワクワク感と不安が両方あって、この状況は私にとって全く新しい感覚でもある。
夢が一つだけ決まっていた頃にはなかった戸惑いが、自由の広さの中に潜んでいる。

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夢があるとき、人生は進めやすかった。
集中できて、余計なことを考えずに突き進める。私にとって夢は、「物事に集中するためのきっかけ」だったんだと思う。

一方で、今の私は夢を持たない状態にいる。
それは自由そのものであり、同時に「大きな迷子」みたいな感覚でもある。
何かを選んでいいし、逆に選ばなくてもいい。
未来は何色にも塗れるし、塗らなくてもいい。

そう思うと、心がふっと軽くなる瞬間もあれば、どこに足を置けばいいのか分からなくなる瞬間もある。自由と不自由は、案外セットでやってくるものなんだなと今は思う。

私は2つの状態をどちらも経験して、ようやく気づいた。私にとって夢は“手段”。
夢を持つことは人生を簡単にする手段のひとつで、夢を持たないことは自由を感じるための手段のひとつ。
どちらが正しいわけでもないし、どちらが幸せかもその時々で変わる。
「夢は持っていた方がいい」という声も、「夢がなくてもいい」という声も、どちらも正しい。
結局は、自分にとって必要なタイミングで選べばいいだけなんだと分かったのだ。

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昔の私は、夢を壮大で絶対的なものだと考えていた。
人生の指針であり、持たなければならないものだと信じてた。
でも今の私は、夢をもっと柔らかく捉えている。夢を作りたくなったら作ればいいし、手放したくなったら手放せばいい。
それだけのこと。

夢は生き方を支えるための手段であって、人生のゴールではない。
そのぐらいフラットに考えられるようになったことが、大人になった今の私にとっての収穫だ。

またいつか新しい夢を描くかもしれないし、もう一度手放すかもしれない。
でもそれでいい。
その柔軟さを持っていられることこそが、私にとって今一番の幸せなのだ。