「あー、えっと…sheep! 」

着陸間近の飛行機の窓から見えた、広大な草地に広がる白い点々を指さし、思わず隣席の青い瞳のふくよかな男性に話しかけた。

「Yes, they are sheep!」

戸惑いながら答えてくれた返事が聞き取れたことが嬉しくて、着陸まで何度sheepと言ってしまっただろう。

◎          ◎

約23年前、高校卒業翌日に飛行機に飛び乗り、ようやくたどり着いたのだ。
制限ぎりぎりにトランクに詰め込んだ服や日用品と、体中から溢れ出す夢と野望と共に、留学先のニュージーランドへ。

「若気の至り」と一言で片付くかもしれない。
ただ、日常がつまらなかった。
ずっと住んでいる家、一緒の家族、みんなと同じ制服。同じような放課後。変わり映えない毎日。

そして何も誇れることを持っていない自分も。

変えるには留学しかない。新しい環境できっと私は「特別」な何かになれる!
そんな短絡的な理由。

「大学は行かない。成人式の振袖もいらない。お願い!留学をさせてください!」
泣き落とし、プレゼン、恫喝まがいな言葉(苦笑) あらゆる手段で1年間、親を説得し続けた。

そして高3のある晩、父がニュージーランドの学校のパンフレットを机に置いた。
時差、安全面、費用…調べ尽くして決まった、私の留学先。

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そんな留学開始すぐ、私は途方に暮れていた。
所詮、散々遊びながら身につけた程度の語学力。
語学学校で似た立場の生徒たちとの間すら、果てしない壁を感じた。

これは正しい選択だったの?でも引き返せない…。
涙ぐみながら空港で見送ってくれた両親の顔がちらついた。

幸い、ルームメイトの台湾人の女の子も同程度の英語しか話せなかった。
私達は毎晩明け方まで辞書を片手に話し続けた。
家族や友達の事、育った環境、なんで留学したか、卒業したら何したい?…

翻訳アプリなんてない時代でも、いつしか恋バナから世界情勢まで、思いつくまま話せるようになっていた。
お互い、辞書は部屋に置いたままで。

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語学学校卒業と共に、大学でネイティブと共に授業。
留学生だからなんて言い訳にならない。ただしがみつくしかなかった。

日本の大学生活を満喫中の、幼馴染からの手紙を呪った。
嫌悪感しかなかった日本の日常が、いかに恵まれたものだったか、離れて初めて感じた。

語学力が上がると、知りたくないこともわかってしまう。
私の英語を馬鹿にされたり、嫌味を言われているのも…。

いくら頑張っても、結果を出しても、自信にならなかった。
所詮、私はネイティブではないから。

「英語上手!」褒められても意味がない。
ここで生きるには当たり前。
結局、変われない。
私はやっぱ皆みたいにすごいもの、何も持っていない。

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4年の留学後、英語は一切必要ない会社に就職した。

「英語活かさないの、もったいないよ」

そう言われるのが一番嫌だった。
その人が思う「成功」をしてない=幸せじゃないみたいで。

ある帰り道、迷子のアメリカ人観光客に道案内をすると、「英語上手ね!」と言われた。
「完璧じゃないけど…」という私にその人は言った。

「完璧な英語って?そんなの私でも無理よ。 あなたの案内は私にはパーフェクトだったよ!」

―ようやく気づいた。

なんで私は「特別」になれないか。
虚無感しかないか。

―私が自分自身を認めてないから-

「幸せ」「成功」「スキル」…
人によって求めるものは違う。

でも誰かじゃなくて、自分が自分を認められた時、初めて満たされるんだ。

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留学ってダイビングみたい。
飛び込む前は、怖いかもしれない。

もっと器用な生き方はある。
陸の上も素敵なもので溢れてるし。

でも、時には溺れそうになりながら、もうだめかも?と諦めそうになりながら必死にもがいて進み続けたから、色とりどりの魚や珊瑚礁、深い青色の海底…今までの世界にはなかった、美しいものに出会えた。

今の私は退職し、英語観光ガイドをしている。
完璧じゃない英語で、開き直って、全力で案内している。
でも最後には涙で別れ、何年後も連絡を取る友人が世界中にできた。

留学したての頃の私は、今の私を見てどう思う?周りの人たちは?

関係ないんだ。

だって今、私はようやく自分を認められてる。
完璧じゃない、もがき続けている私を。