勉強なんて好きじゃないから、さっさと社会人になりたかった。学生でいるメリットなんて、ないと思っていた。大人は羨ましいなー、勉強しなくていいから、とすら思っていた。

当時の私は、ハワイ島に行ければなんでも良かった。1番簡単で長く滞在できるのが、たまたま「学生」だった。ただそれだけで、図らずも30代でまた学生になった。

留学すると決めたとき、心に浮かんだのは「今から留学して意味ある?」だった。自分の中に蓄積された、言われそうな言葉だったと思う。

私の周りには、大人になってから学生になっている人がいなかった。自分史上、前代未聞に進んでいく怖さと私の人生はここで終わるんだー、と諦めの気持ちを持っていた。

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始まってみると、クラスメイトに大人も普通にいた。さらに、授業にワクワクしている自分もいた。正直にいうと、私の英語のレベルはさほど高くない。でも、英語を学ぶために読んだり聞いたりして得られる知識が面白かった。

たとえば「韓国のハングル文字は庶民でも短期間で習得できるよう、初めからルールが設計された文字」とか「私たちの思考は言語に左右されている」とか。初めて知る情報に、そうなんだー!と胸が躍った。

ハングル文字の話、韓国が好きな友達と会ったときに話そう!日本語で考えているから、こういう思考になるのかな?と得た知識をもとに、新しい方向に自然と波紋が広がっていくのは不思議な感覚だった。

また、日本ではある程度同じ年齢、近い価値観の人としか付き合ってこなかった。留学中のクラスメイトは日本人も多かったけど、18歳から60代と幅が広がった。特に台湾出身のおばさんに影響を受けた。年を重ねてもなお、自分のために学ぶ姿が爽やかだった。

日本では触れたことがない価値観も目の当たりにした。ベトナム出身の男の子は「大事なときには戦争に行って戦う」と言っていたし、ロシア出身の男性は「母国での苦しい生活に帰りたくない」と言っていた。「みんな違ってみんないい」のほんわり優しい感覚ではなく、ピリッと緊張感が走る「みんな違って当たり前」を体感した気がした。

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日本にいたとき「自分の興味を深める」っていう授業もあった気がするけど、実用的・将来に役に立つものを知らないうちに優先して、その範疇の中から選ぶようになっていた。

勉強って、テストでいい点を取るのが前提で、脳に一瞬焼き付けては流す、みたいなそんなやり方の勉強しか知らなかった。いい点取れないから楽しくなくなって、その点数で評価されるからやる気もなくなって、だから勉強ってつまらないと思っていたんだと思う。

でも本来は、知識を得ることで生活や心が豊かになる、みたいなそういうことも勉強と呼んでいいんだよね。勉強が点数だけっていうのは、もったいなさすぎる。

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留学の経験がなかったら、私は学ぶ楽しさを知らなかった。本当は全てのことから学べるし、一生をかけて学びが続いていくというのも教えてもらえた。

仕事でステップアップするため、新しい分野で働くために、また学校に戻って学位を取る。そういう人たちをたくさん見て、学校は広く扉が開けられているイメージに刷新された。

そして私はというと、そのあと調理を学ぶ学科に進学し、コロナ禍を経てオンラインスクールでWebスキルを学び、コーチングの講座を受けた。

一貫性がなくて意味あるのか?と疑問に思われそうなラインナップだと思う。でも、受注生産でパンを作って、エッセイを執筆し、ライフコーチとしてクライアントの夢を聞けて、私の生活はとっても充実している。

学びの時間が、確実に私を豊かにしてくれている。留学前の私が聞いたら、驚くだろうな。でもこれが今の素直な気持ちだ。これからも、気の向くままに楽しく勉強して、アップデートし続けていきたい。