留学こそが意味のある学びだと信じて疑わなかった過去の私へ

大学に入学したら、1~2年次にしっかりとドイツ語を学んで、3年次には、ドイツ語圏に留学に行く。
……漠然とそう思っていましたが、そんな未来はきませんでしたし、きっとこの先もないだろうと今は思います。
そんなことを未来の私が考えていると知ったら、過去の私は、ひどく落胆するだろうと思います。高校生の頃の私にとっては、"留学"こそが一番大きな選択肢。留学が自分を成長させてくれる最高の手段だと確信していたからです。
でも、大学1年の夏にメニエール病を発症。私の未来予想図はみるみる変化していきました。何度も繰り返す症状、ベッドから起き上がるのもやっとな日々に、私の頭から"留学"の言葉は次第に消えていきました。
そうこうするうちにコロナ禍になり、大学3年の春学期は、そもそも自分の大学にも通えないという状況に。自分だけでなく、誰もが留学を諦めざるをえなくなってしまいました。
そして、高校生の頃に夢見ていた留学を経験することのないまま、私は、社会人になりました。
けれど、不完全燃焼な学生時代を振り返る時は、いつも苦い感情が心に沸き上がりました。もし、病気になっていなかったら。もし、コロナがなかったら。考えても仕方のない「もしも」の世界線を考える時、そこには海外で学ぶ自分の姿がありました。
そう簡単には、留学を夢見る心は変わらなかったのです。
けれど、次第に、留学への憧れは消えていきました。最近になって「世界一周に行く」と決めたからというのもあるでしょう。でも、それだけではなく、「留学が全てではない」と分かってきたのです。
確かに、留学は、自分を成長させてくれる経験になるだろうと思います。少なくとも、留学を経験したことのない私に、「留学だけが成長を後押ししてくれるわけではない」などと言うことはできません。
留学を経験した人にとっては、きっと、それが人生で忘れられない経験になり、その人の人生の物語で大きな意味を持つはずだからです。
でも、まだ何も経験していない過去の私に、"留学"こそが意味のある学びだと信じて疑わなかった過去の私に、伝えられることがあるとしたら。私は、この言葉を伝えたいと思います。「あなたにとって意味のある学びや経験は、あなたに合ったタイミングで、あなたに与えられるから大丈夫」と。
たとえば、病気のおかげで、自分の心と体を大切にするということを、私は身をもって学びました。たとえ、お金や時間があっても、健康でなければ、やりたいことはできないのだと。
また、コロナ禍を通して、直接人と繋がる時間の尊さと、家のなかで楽しみを見つける術を私は学びました。外出を深く楽しめるようになると同時に、「どこかに行く」以外の方法で、自分の心を満たすことができるようになりました。
そして、今、世界一周を目指すなかで、夢を叶えるのに年齢は関係ないことを学びました。「今さらそんな学生みたいなことをするなんて」と笑う人もいます。でも、同じく世界一周を目指す仲間たちは、誰ひとりそんなことは言いません。10代でも、20代でも、30代でも、はたまた40代でも、50代でも、80代でも、「早い」とか「遅い」とか言う人はいません。
私も、「"今"が、その人が、その経験をするタイミングなのね」と思います。私が海外に行くタイミングは、きっと、これからなのです。行くタイミングも方法も、過去の私が考えていたものとは、まるきり違います。
でも、そこでまた、私は何かを学ぶでしょう。それは、まさにこのタイミングで私が知るべきことに違いないのです。
この先も、自分が思う「自分にとって大きな意味をもつ経験」ができないという苦い日がやってくるかもしれません。それは悲しむべきことだと、一般的には考えられるでしょう。
でも、きっとそれは唯一の手段ではないから。自分では予想もしていなかった方法で、想像もできなかった経験ができるかもしれないから。人生が、その時、その時の自分に与えてくれる経験を大切にしようと思います。
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