卒園文に書いた将来の夢は「オリンピックの選手になりたい」

小学校の時は「OL」、中学では「士業」、高校では「研究者」。

そして大学生。研究者を目指して入学した大学では真面目に勉強して、そこそこ楽しみ、人並みに悩んでいたら、あっという間に3年生になっていた。「高校教師になりたい」「人財系の企業で働きたい」「銀行員になる」など友人たちは次々と夢を目指して就活し「早期内定もらったー!」「資格試験受かったー!」と喜んでいる。周りが着々とその一歩を踏み出しているのとは裏腹に、私は研究への情熱に陰りを感じ始めていた。

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なんでこんな簡単なこともわからないんだろう、奨学金返せるかな、もし博士課程まで卒業できても就職できなかったら。

好きだから、ずっと勉強していたかった。それで研究者というやんわりとした夢を持っていただけ。勉強すればするほどノイローゼになりそうで勉強が嫌いになっていった。

そして①お金が稼げる②充実した福利厚生③丸の内OL(なんかキラキラしてそう)という優先順位をつけて、欲望まみれな就職活動を始めた。

3年生になって始める就活なんて全落ちするだろうなと思っていたが、無理ない程度を目指したからか、就活は案外うまくいった。ただ、自分を偽っている感覚がどうしても抜けなかった。
「ESFJです!」「御社が第一志望です!」「ボランティア活動では~」「どこに配属されても御社で働けるだけで嬉しいです!」

嘘はついていない。ただ、ちょっと大げさに話しているだけ。
積み重なるお祈り。たまーーに内定をもらっても、私を採用するなんてなにか裏があるんじゃ…?なんて思ってしまう。

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今年の3月、とうとう大学を卒業してしまった。
結局就活を諦めて、大学時代にお世話になった非常勤講師が代表を務める、小さな出版メディア会社に就職した。

正直その先生の授業は単位取得のためだったから、窓際に座って流れる雲を見たり揺れる木々をみたりしていて碌に聞いていなかった。しかし先生には私のことが見えていたらしい。

「ずっと外を見てるな~って思ってたよ。気になるものはあった?」

構内ですれ違ったときに軽く頭を下げた私を見て、先生はこう言った。
そこから度々先生と話すようになった。

「こんな生きづらい社会で真面目に就職して生きようとする方が馬鹿げてる」
「生きづらい、っていうのが本音なんだね。自分をごまかして生きていける社会に違和感を覚えているあなたは、私みたいな年寄りからすると社会を変えられる力を秘めた、尊い存在に見えるよ」

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その職に就きたかったの?夢は叶ったの?
そう聞かれると、正直どうかはわからない。けれど、だれかの心を少しでも楽にできる仕事をしているとは、自信を持って言える。

相変わらず夢はない。目標も特にない。推しもいない。だけど、私にだって日々の楽しみはある。
今日のお昼はドレッシングが絶品なあのお店にしよう。週末にある飲み会楽しみだな。日曜日は在来線で静岡まで行って「さわやか」のハンバーグを食べに行こう。

小さな日常を積み重ねて、一生懸命働いて、私の心も楽にしてあげたい。その営みのなかで、だれかも楽になってくれたら嬉しいな。

まだ、夢はない。
ただ、楽しみがたくさんある日々を、堅実に生きていく。