大学生だった時、社会人になってから、10人の一人くらいの割合で留学経験者に出会う。

中には英語が得意でちゃんと勉強のために留学している子もいたが、半分くらいは学校の制度利用したものだったり、海外旅行より少し長い期間、留学という大義名分のもと親が資金を用意してくれたり、真剣に勉強しに行くというより興味と遊びの延長、就活の話題作りという色の方が濃いようだった。

それぞれ思惑や意志がなんであろうと、自分で準備をして留学するのだから、その目的に口を出すつもりはないし、その身軽さが羨ましかったりもする。中でも、中学時代に会った先生の留学エピソードは、当時の私にとって強烈なインパクトを残した。

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私がその先生に会ったのは、中学2年の始業式だった。英語の先生として赴任してきて私の所属していた部活の副顧問となったことが仲良くなるきっかけだ。

その年に先生となるまでに、翻訳や同時通訳などを経験していたその先生は、他の先生とは違う雰囲気があり、隠し子がいるとか世界各地に別荘のあるお金持ちだとかいろん噂が流れていた。教師になるために大学に進学し卒業後、すぐに先生となる人が大半の公立学校では、その経歴は異例で、学校しか世界を知らない私には、先生の話す他の職業での経験や失敗談、英語でお仕事をしてきたからこその文化の違いの話はすごく楽しかった。

そんな私が、その先生の留学のきっかえを知ったのは中学卒業後だったと思う。中学時代の大人びた友達が卒業後に先生の電話番号にショートメールを送ったことで先生とつながれたと報告があり、卒業後に会った際に私もメールアドレスを教えてもらっていた。

大学進学の進路に悩んでいた時に、返信があればいいなというくらいの軽い気持ちで相談を持ち掛けた。その回答としたもらった返信が、自分は日本の中学校が合わなくて高校からアメリカの学校に進んだというものだった。

教員として独特の経歴だということは知っていたが、高校からアメリカで進学していたということは知らなかったし、出来ることとやりたいことの間で、進路を迷っていた当時の私にとってこの返信が思っていたものとは全然違って、衝撃的だった。

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その話を聞いたのは高校2年の冬で、志望校や進路の概形が見えてきたころだった。

衝撃を受けたしそんな大胆な進路があることに驚きもしたが、その経験談が私の進路を変えることはなかったし、文系の私立大学によくある夏休みの留学やホームステイのプログラムへ憧れはしても参加することはなかった。

その先生をお会いしたのはメールアドレスを交換した一度切りだし、メールのやり取りも留学の話を最後だ。中学校に着任したもの地元だからというわけでなく、数年度に別の県で働いるのを見かけたという話を聞いたりもする。

その先生が私に自分の留学経験を話した時の年齢がいくつくらいだったのかもわからないが、なかなか答えにくいことだっただろうし、この先、運よく出会うことでもなければ話す機会はないだろう。でも、その先生が教えてくれた高校生から留学したという話は、人は案外どこでもやっていけるのだと示してくれた。