国際電話から始まった人生を変える2年間。福建省で見つけた私の青春

当時私は大学3年生。外国語学部で中国語を学ぶ学生だった。外国語を学んでいるため、いずれ留学をとは思っていたが、女手ひとつで育ててくれた母に負担をかけたくなかったのもあり、学生のうちにバイトでお金を貯めて、卒業してから留学かなとなんとなくぼんやり思っていた。
しかし世の中は就職氷河期。ほぼ新卒でしか求人がない。それをわかっていて「新卒」のブランドを捨ててまで挑戦する勇気が当時20歳の私にはなかった。
急遽、3年生が終わった春休みから1年間留学しよう!と思い立つ。幸い、大学入学後から借りていた奨学金がまだ手付かずだったため、1年くらいは何とかなりそうだった。母の同意も得た。
さて、どこへ行くかだ。まずはゼミの担当教授に相談した。彼は来年度、他の大学への勤務が決まっているのだ。留学するにしてもしないにしても、その分野の専門家は彼しかいないため、今年度中に卒論の構成をある程度相談しなければならず、度々研究室を訪れていたのでその際に相談してみた。
東北へ行き綺麗な普通話を学ぶか、プラスアルファで方言を学ぶかという選択肢を提示してもらい、自分が何をしたいのか考えた。当時の私にとって魅力的なのは、圧倒的に後者だった。中でも帰国後役に立ちそうな福建省の方言を学びたいと思った。行き先は「福建省」に決定した。
今思えば、私が思っていた「福建省の方言」は省内の各地域で何種類もあり、最終的な行き先と役に立つ方言の地域は異なっていた。苦笑。
私は留学先を福建省にある国家重点大学に決めた。決めて…どうしたらいいんだ?2002年、今ほど世界との連絡が容易ではなかった時代。留学するにはどうしたらいいのかいまいちわからず、私がとりあえず行ったのが、「国際電話」だった。大学2年間の中国語レベルでどうにかなるのかすらわからぬまま、自宅の固定電話から現地の大学へ電話をかけた。
「もしもし、留学したいのですが…」
精一杯の中国語で第一声をぶつける。そこからは優しい学生課の人が、簡単な中国語で説明してくれて、メールアドレスを教えてくれたので、こちらから住所等をメールして、資料を送ってもらうことにした。
大学3年の私は、第1関門を突破した。ちょっとだけ大丈夫な気がした。実際現地に行ったら大学外の人々の話す言葉が早すぎて全然大丈夫ではなかった。笑。
資料が届き、必要な手続きをして、正式に留学先が決定した。大学の先輩が同じ学校に留学して帰国していたので話したところ、現地で困ったら連絡できるよう長期留学の方の連絡先を教えてくれた。この方とは、ここから長い付き合いになる。
大学3年生の後期が終わり、休学手続きをして、現地へ向かう。
現地に着き、ここから私の2年間が始まった。1年の予定を2年に変更したり、留学生コースから本科の聴講生(中国人たちの授業を聴講させてもらう)に変更したり、恋をしたり、失恋したり、スポーツしたり、留学仲間と旅行したり、ハマったドラマのロケ地に1人で訪れたり、また恋をしたり、推しができたり、推し友ができたり、飲み明かしたり、喧嘩したり、数十年続く友人ができたり…。中国での2年間は、私にとってかけがえのないものとなった。今の私があるのもこの経験のおかげだ。
それは全て、あの時勇気を出してかけた1本の国際電話があったからだと思っている。何事も、一歩目を踏み出さなければ始まらないんだと学ぶことができた。
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