大学1年生の夏、初めて海外留学に行く機会を得た。

留学といっても、短期の語学研修のようなもので、期間は2週間。行先はイギリスのオックスフォードだった。

午前中は英語のレッスン、午後はグループごとのワーク。授業が無い日には観光が出来るようにスケジュールが組まれていて、ほぼ旅行に近いような内容だった。

他の人にとっては、たったの2週間かもしれない。だけど私にとってはずっと憧れていた初めての海外。空港ではラーメンを食べて、カフェで抹茶ラテを頼んだ。美味しい日本食なんて、明日からは食べられないだろうね、なんて言いながら、これから始まる2週間に向けて準備を整えた。そしてそのまま同じテンションで、帰国後にも空港でラーメンを食べた。2週間後、久々に日本食を食べながら思ったことは、楽しかったなあという薄い感想だけだった。

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私の海外留学への憧れは中学生のときからだった。英語が話せたらかっこいいなあ、イケメンな外国人と将来結婚したいなあ、とかそんな理由だけど、海外に行きたい思いだけは強かった。高校生になってからは、どんな国に行きたいとか、どんなことを学びたいか、とかまで考えるようになった。そうして、「普通に勉強ができる機会がある」とか、「普通に生活できる」ってなんだろうと疑問に思って、国際的な視点で教育や貧困を学べる大学を調べていた。そして高1の夏、母と行った初めてのオープンキャンパスで、ぐっと心をつかまれて、進路を決めた。私は国際社会について英語で学んで、海外留学をする。まっすぐに信じていた。

しかし、その憧れは本当に憧れで終わった。英語資格の基準であるTOEICが難しくて、高校2年生で挫折した。私なりに頑張ったつもりではあったが、点数が上がらない状況に嫌気がさした。受験資格に対して、50点くらい及ばなくて、心が折れた。

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それでも憧れは捨てられなくて、結局、類似する内容を学べる大学を選んだ。そして大学1年生の夏、ついに海外に行く機会を得た。だけど、私は先にも述べた通り、この2週間を清々しいくらい、ただ遊んだだけだった。ほとんど毎日、友達と夜更かしして、授業中はギリギリ起きているような状態だった。友達との部屋の行き来が面倒で、私の部屋のシングルベットに2人で寝て、朝食を食べに行く日もあった。自由行動の移動遊園地では、外国人の美男美女のカップルに声をかけられて、なぜか一緒に写真を撮ったりもした。授業中は必要な時以外は話せなかったのに、この時だけ英語で話す勇気があった。

そうして、たくさん遊んだ思い出だけ作って、何1つ得られないまま、空港でラーメンを食べた最終日、時差ボケや眠さで頭は働かなかった。楽しかったなあ、そんな感想しかでないまま、気付いたら2週間は終わっていた。

その後、同級生たちが頑張った生徒に送られる奨励金が貰えたと自慢している声を聞いて、親にも申し訳なくなった。私は本当に何も得ずに終わったんだなと改めて思った。

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そんな私だけど、短期でも海外に行ってみることは無駄ではないと今では思っている。よくある世間の声の通り、2週間では価値観は何も変わらないしお金の無駄かもしれない。だけど、学ぶという同じ目的を持って、海外で同級生と2週間過ごせたことはかけがえのない時間だったと思う。

そして何より、同じように「普通」って何だろうね、と広い視点で話せる友達が沢山できた。現地では何も得られなかったけれど、異国で学びたい、という私と同じ考え方と同じ行動力をもつ友達に大学1年生で出会ったことで、残り3年間学びも遊びも真剣に向き合うことが出来た。

同級生の中には、現在は国際社会の第一線で仕事をしている子もいる。同じ視点で恋バナをしてた友達だけど、社会については私よりもっと多角的に物事を捉えていて、私より何倍も賢くて、努力もできる子だった。自分が憧れのまま出来ずに終わったことを正当化してしまうくらい優秀だった。

私は留学という憧れを通じて、今でも広い視野で話せる友達と、憧れの厳しさを実感することができた。