覚えているなかで最も幼かった頃の将来の夢はクマだった。あの頃はきっと、何にでもなれると信じてやまなかった。

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小学生になると、さすがに非現実的な夢は抱かなくなったが、それでも何者かになれると信じていた。いや、何者かになりたかった、と言うほうが近いかもしれない。
プロスポーツ選手、通訳、外交官、大きな商社の海外駐在員。夢は変化していったけれど、他の人とは違う特別な存在として輝きたいという欲望は共通していたし、なれないはずがないとその時信じ込んでいた。

そんな私が大学進学にあたって選んだ専攻は心理学だった。大学受験期、私自身も私の家族も難しい時を過ごしていた。私のように絶望する人を増やしたくない、家族が経験したような関係の断絶や不安な最期を経験する人を減らしたい。そして、この経験をした「私が」心理学を学ぶことで私にしかない使命を果たせるのではないかと思っていた。結局大学入学後、心の傷を負った人間が他人をケアするのは非常に難しく不適切なことだと悟り、自らその道を選ぶのをやめたのだが。

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「普通の」就職活動をする頃には、別に私はナンバーワンでもオンリーワンでもないことに気づいていた。私にしか達成できないことは存在しない。私が何かをしなくてもこの世界はそこそこ健全にまわっていく。何らかの組織に所属しても、私にしかできないことはなくて、その組織で必要なピースの一つを担っていくにすぎない。

就職先は、関心のある分野にも携われる業界で、福利厚生も良くて自分が健康に働けそうな場所を選んだ。夢見た職業でも、高校生までに職場を見に行かせてもらったようなキラキラした職業でもなく、ただの事務職。間違ってはいなかったと思うが、無難な選択をしたな、とも思う。

事務の仕事は楽しい。というか私という人間は意外と幅広いことに好奇心を持って取り組めるから、夢なんてなくてもよかったんじゃないかな、と思うようにもなった。世の中は子どもが「将来の夢」として掲げる職業よりも、日の目を浴びにくい地味な仕事のほうが圧倒的に多い。でも、その地味な仕事がこの世の中を支えていることを働き始めて直に感じた。私自身も、今の仕事をするなかで他者に貢献したり感謝していただいたりしている実感があって、こんなに楽しく働けてお金をいただけるなんて幸せだな、と思う。

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でも、夢は持ち続けていきたいな、と最近は思う。楽しい日々の中でも、生きがいを失って前を向けない時期もある。そんなときに、すぐに叶わなくても夢を抱いていたほうが人生前向きになれるし楽しいんじゃないかな、と思う。そして、やっぱり自分の「好き」には正直でいたい。最近は自分の「好き」探しをがんばっている。

今、子どもの頃のように「将来の夢は何?」と聞かれたら、私は「本屋さんか花屋さん」と答える。泥臭くて厳しい世界なのは分かっているので、今すぐになるつもりはからっきしないのだが、童心にかえって思い浮かべる本屋さんや花屋さん光景はあたたかい。自分が大好きな本に囲まれた生活、大好きな祖母にプレゼントすると喜んでくれるお花でたくさんの人を笑顔にする生活、どちらにも憧れる。そんな夢を抱きながら、そしてちょっとずつ叶えながら生きる今は人生で一番楽しい。