学生時代、私はクラスメイトと付き合っていた。

元々友達だった彼はとても優しくて、私にたくさんの愛情を注いでくれる人だった。
誰が見ても「大切にされている」と思える関係だったと思う。

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だけどどうしても私は、彼を恋人として好きになることができなかった。
その事実がもどかしくて、苦しかった。
相手が優しくしてくれるほど、私の中には「応えられない自分」への罪悪感が積もっていくし、笑顔でいなきゃと思うほど彼といる時間が苦しいものになっていった。

例えば彼が学校終わりに一緒に帰ろうと言ってくれても、私は友達と一緒に帰りたいと思ってしまう。
例えば彼が「君の誕生日に一緒にディズニーに行こう」と言ってくれても、なんだかあんまり乗り気じゃない。
こんな関係性のどこが恋愛だというのだろう。彼が一生懸命用意してくれた誕生日プレゼントに対して、嬉しいという気持ちよりも罪悪感が勝つ。私はきっと彼に誕生日プレゼントを返すことはできないだろう。その時には、なんだか一緒にいない気がする。
そんな風に頭の片隅で考えてしまうことが本当に最低だと思ったし、こんなことをしたいわけじゃなかった。
彼のことが嫌いなわけでもない。ただ「恋人として」ではなく「友達として」好きなだけだった。そう気づいたとき、私は彼とのお別れを決心した。

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その後は、彼と顔を合わせるたびに心臓がぎゅっと苦しくなった。彼も私と積極的に話そうとはしなくなって、教室で視線が交わるたびに、どうしても気まずい空気をまとってしまう。
そんな彼に対して「もう少し大人になってほしい」と、自己中心的なことを考えてしまったこともあった。でも結局は全部、自分が悪いのだ。そう心のどこかで繰り返していた。

恋の痛みといえば、多くの人は「振られることの辛さ」を思い浮かべるだろう。
もちろん私も振られた経験があって、その寂しさや切なさを知っている。
けれど一番に思い出す「辛い恋」とは、好きだと言ってくれる人を好きになれないあのときの経験だ。

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その恋を通して、私はひとつの結論にたどり着いた。
「これからは、自分が選ぶ側に立とう」そう心に決めたのだ。
どれだけ好かれても、自分の心が動かない相手と一緒にいるのは、結局お互い不幸になる。
だから、まずは自分が「好きだ」と思える人を選ぼう。
そのシンプルなことが、私にとってとても大切だと気づいた。

それ以来の恋愛は、時には慎重で時にはアクセル全開で進むこともあった。
彼と同じように苦しめた人はいなかったけど、理想の相手を探すこと自体はしんどいものだ。
自分が好きになれたら、自然と恋愛は進む。
結果的に上手く行かなくても、大きな後悔は残らなかった。
そしてその途中で気づいたのは、「選ぶというのは同時に選ばれることでもある」ということ。
お互いの「選ぶ」と「選ばれる」が重なったときにだけ、本当の関係が始まるんだと分かった。

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そしてようやく出会ったのが、今の旦那だ。
相手に好かれて、私も心から選んで、そこから始まった彼とは今では当たり前に一緒にいられる私の絶対的なパートナーとなった。
「自分を好きでいてくれる人」はとても貴重だ。
でも同じくらい、「自分が好きになれる人」が大切。
自分の人生なのだから、自分の選択を軸にしたい。
私を好きでいてくれる人を好きになるよりも、わたしが好きになった人に好きになってもらう方がよっぽど私に向いている。

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私にとって辛い恋とは、相手の求めるものに応えられない時間のことだった。
でも、その経験があったからこそ、自分の恋愛のスタンスを見つけることができた。
「私が選ぶ側に立つ」。それが、辛い恋の先にあった大切な気づきだった。