「言語」の持つ力と真価について深く考えるようになったのは、学生時代、二十歳の頃に行ったイギリス留学中だった。
そこで私は、人類が発明した最も偉大な財産は「言語」である、と確信したのだった。

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あれから十三年の月日が過ぎた。

私の人生に、かけがえのない思い出の日々を贈ってくれた国、シェイクスピアが美しい言葉を産み、数百年以上続く王朝時代の中で、いくつもの戦場を駆け巡った国――。
当時について思い出そうとすると、あの頃に得たものを、今や少しずつ失くしていっているんじゃないかという不安がよぎる。感性も、素直さも、好奇心も、当時の自分と今とじゃ比べ物にならない。
同じ体験をしようとしても、もう叶わないだろう。

しかし、留学時代に知った「言語の本質」について思い出させてくれたのは、まだ思ったことをすらすらと言語化できず、しょっちゅう癇癪を起して大人を困らせる、3才の甥っ子の存在だった。

甥の母親、つまり私の姉は、息子の泣き叫びながらの訴えを、時には手に取るように理解し、またある時は、全く理解ができないのだと言う。

幼い子どもとは言え、汗と涙で顔面を濡らしながら、顔を紅潮させ、ものすごい声量で喚き暴れる姿は、映画「エクソシスト」の悪魔に憑かれた人を彷彿とさせた。放っておいたらそのまま気絶してしまうのじゃないかと、本気で心配になるほどだった。

甥の祖母にあたる私の母は、娘が憔悴しているのではないかと、息子のことを理解できないことに落ち込む母親のメンタルを案じた。
しかし私は、甥のことが不憫でならなかった。

伝えたいことがはっきりと分かっているのにその手段が分からず、もどかしい気持ちを通り越した悔しさと怒りに狂ってしまいそうになる感覚を、私は二十歳で経験している。

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リーズ・ブラッドフォード空港から、大学の学生寮方向へと向かうバスのチケットを購入しようとしたとき。

その時の私は、これから始まるキャンパスライフに心躍らせると同時に、押し潰されそうな程の不安を抱いていた。
関空からのフライトは一睡もできず、終始鼓動は高鳴っていた。

三姉妹の末っ子として生まれた私は、幼少期から甘やかされて育った。留学だって、自分で稼いだお金で行くんじゃない。自力で生きたことのない人間が、突然たった一人で異国の地に行き、ちゃんとやっていけるのか。言葉も文化も異なる国で。

なろうと思えば、いくらでも卑屈でネガティブになれた。
当時の私は、中身はまだ甘ったれた子供のままだった。
少しでも突いたら破裂してしまう。そんな緊張感の中、ギリギリの状態でなんとか平静を装っていた。

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見慣れない風景。初めて嗅ぐ匂い。聞きなれない音。五感が寂しさを刺激する。
バスチケット購入窓口の列に並んでいる間中、急に心細さが限界に達し、涙が溢れた。
「ここは日本じゃない。軽々しく弱みを露呈するんじゃない。足元を掬われるぞ」
頭の中のもう一人の私が忠告する。袖で涙を拭き、鼻を啜る。

私は、葛藤していた。誰かに助けを求めたかったが、私の舵を取れるのは私しかいないのだと言い聞かせて、無理矢理笑顔を作った。

「I want to buy a ticket to the Leeds university.」
自らこの境界線をぶっ壊していくしか道はない。世界との窓口を開くことは、自分自身の意志でしか成し遂げられない。
すると、終始仏頂面でにこりともしない係員は、なんじゃ小娘、とでも言いたそうな目で一瞥し、それから視線を外して言った。

「オニョロン」

思わず、「え?」と聞き返した。すると係員はさらに機嫌を悪くしたようで、「オニョロン!!」と、ほとんど絶叫した。

その時、私の開きかけた心の窓口が再び閉じてしまったことは、言うまでもない。だからと言って誰かが助けてくれるわけではないし、仕方がないからこちらも負けじと行先を繰り返し絶叫した。「リーズユニバーシテー!!ゴートゥーザユニバーシテー!!」
バスの停留所で泣き叫ぶ東洋人と、何やらニョロニョロと怒る青い目の係員。

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当時の異様な光景を俯瞰して思い浮かべると、思わず笑みが零れる。
私は、係員の「On your own?(一名ですか?)」が聞き取れなかっただけで、取り乱してしまったのだ。

「言葉を持たない者」として扱われた悔しさと、伝わらないことに対する苛立ち、受信者側が察する日本のコミュニケーション法とは違い、発信者側が責任を負わなければならない言葉の構造に圧倒された結果、「泣き叫ぶ」という最後の手段に出た。最初から。

そして私は、真剣に言語を学ぼうと決意した。
英語だけではなく、使い慣れた日本語も。

言葉の意味は知っていても、どんな意図をもって発するのか、受け手にどう伝わるのかをいつでも考えながら、言葉に敏感になろうと決めた。矛にも盾にもなる言葉を、どう扱うべきか。それは、これからもっとたくさん経験して、自分で見つけていかなければならない。

取り乱し錯乱する甥は、自分で窓口を捜そうと必死にもがいているように見え、私はその勇姿を見届けたいと思う。