迷いながら進む今も「未来」を歩んでいる。小さな光を大切に生きる

「夢」という言葉を聞くと、胸の奥が少しだけぎゅーっと掴まれる気がする。子どものころから、「将来の夢は何?」と尋ねられるのは当たり前だった。卒業文集の定番の質問でもあるし、進路指導の面談でも必ず話題になる。だからこそ、夢を持つことが"当たり前のこと"のように思わされてきた。
夢を持っている人はかっこいい。実際にそのために努力している人を見ると、胸が熱くなるし、尊敬をする。かっこいいとも思う。けれど、夢を持つ人と自分を比べて「ダメだ」と思うのは、きっと違うとも思う。そう分かっていても、心のどこかで焦りのような、嫉妬のような──複雑な気持ちが顔を出すのだ。
思い返せば、高校生の頃の夢は大学受験に合格することだった。小学校教諭と心理カウンセラーの資格を取りたかった。そのときは迷いなく「夢」と呼べたし、それを叶えるために必死に努力した。じゃあ……今の私の夢は何だろう……?頭の中でぐるぐると考える。
昔から文章を書くのが好きだった。うまく言葉で気持ちを伝えられないからこそ、文字にすると少しだけ楽になれた。今年は色んな方との出会いがあった。色んな機会に恵まれた。文章を通して、たくさんの新しい経験をした。Kindle出版をして、初めて小説も書いた。その応募要項の最低文字数は2万字──2万字にこんなにも苦戦するなんて思っていなかった。でも、書けた。最後まで書いた。それがすごく嬉しかった。
小説を書いていたら、必ずと言って良いくらい聞かれることがある。「小説家を目指してるの?」と。もちろん商業出版への憧れもある。本屋さんの棚に自分の本が並んでいるのを見てみたい。本を出したい。けれど、その一方で、その夢の重さに耐えられるだろうか……と不安になってしまう。小説家には新人なんて関係ない。読む人から簡単に評価されてしまう。それが怖い。覚悟と呼べるものはまだ持っていない。持てるのかすら、分からない。だから「夢」と言い切るのは少し怖いのだ。
ただ、最近思う。夢を必ずしも大きな旗のように掲げなくてもいいのかもしれない……。夢を語れなくても、毎日の中に小さな「やりたい」があれば、それで十分なのかもしれない。たとえば、今日はこの本を読んでみたい。この文章を書いてみたい。誰かに自分の思いを伝えたい──そんな小さな積み重ねが、気づけば道を形づくっている。
周りと比べて、夢がないと焦る自分もいるけれど、夢がないからこそ、今の自分は自由でもある。決められたゴールに縛られないから、寄り道もできる。目の前の興味や好奇心に素直になれる。それはそれで、豊かさなのかもしれない。
夢を持つことは素晴らしいと思う。けれど、夢を持たないこともまた一つの選択なのだ。立ち止まり、迷いながらも、その時々の「これが好き」「やってみたい」に耳を傾ける。そんな生き方も悪くないなぁ……と、最近ようやく思えるようになった。
もしかしたら、迷っている自分を受け入れられたとき、ようやく自然に「夢」と呼べるものが生まれてくるのかもしれない。夢を追う人も、夢を探す人も、夢を持たない人も──そのすべてが、同じように「生きている」という事実に支えられている。
これを書いている今、カフェの窓からは夕暮れの空が見える。オレンジ色に染まる雲の隙間を、小さな光がゆらゆら揺れている。夢の形も、大きさも、色も、人それぞれでいい──そう、自然に思えるような気がした。その光のように、私の道も、迷いながら少しずつ輝いていけばいいのだ。
そう思うと、夢に囚われていた心が少しだけ軽くなる。迷いの中で歩く今の自分も、確かに未来へ続く道の途中なのだ。夢が無くても大丈夫。きっといつか花が咲くから。
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