大学時代はアルバイトのない平日の週に2回、英会話の学校に通っていた。
留学や旅行の予定があったわけではなく、高校時代には大学は英文科へ行こう思っていたのが、友人の影響を受けて法学部に入ったものの、これからの時代は英語は必須と言われていたこと、もともと好きな科目だったこともある。

通い始めてまだ2、3カ月のころ、通っていた大学での初めての試み、3週間のカナダホームステイプログラムの参加募集があった。両親に話すと「いいじゃない」とすぐに賛成してくれた。バイト料と貯金を使い、英会話に通っていることを理解してくれたのか、ありがたいことに留学費用は親が出してくれた。

普段から留学の情報誌を読んだり、資料を取り寄せいてたわけではなく、いつか行けたらと思う程度で、4月に英会話を始め、6月に大学からの募集と面接、8月に渡航と、今思うとスムーズにことが運んだと思う。何年何月に留学するんだ!という気負いがなかったのが、かえってよかったのだろうか。

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学生のころからよく耳にしていた話として、女性は短大を卒業して3年から5年働き、結婚退職というパターンがあった。それ以上は働いている女性はごく一部、それ以上は居心地が悪いからか、退職して次に市役所でアルバイト、というパターン。そこで結婚相手を見つけて退職する。同級生のお姉さんがこのパターンだった。市役所で働く男性も、アルバイトに来た女性のなかから、結婚相手を見つける風潮があったのかもしれない。

それでもご縁がないアラサー女性はよく聞くケースが海外留学だった。
そしてなぜかいつもアメリカではなく「カナダへ行く」というのもよく聞く話だった。
安全面から見ても米国より、北米のカナダは女性にとり、より安全で人も穏やかな国の印象があったのかもしれない。

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大学生のわたしが参加したのは、夏休みを利用した3週間の英語留学で、平日は地元のカレッジに通い、土日は観光。

受け入れ先のホストファミリーは、父、母、末の三女の3人。
穏やかで、明るくて、真面目、わたしにはちょうどいい家族だった。

家族は父母と3人姉妹。お父さんはパッケージの箱を作る会社のマネジャー、お母さんは産休の教師だった。
3人姉妹のうち、上のふたりは嫁いで家を出ていて、末っ子は同じ大学生だった。
性格も頭もよくて、少しだけ年上のわたしを妹のように世話をしてくれた。

そしてペットも3匹いた。ホワイトテリアのピーナッツ、ネコのサシャとBoo。
珍しい客だったからかもしれないが、ピーナッツとは気が合ってよく遊んだ。
毎朝わたしの足のカカトを骨つき肉と勘違いして、歩くたびに左右交互にかぶりつきながら追いかけてきた。

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ある日、学校から帰るとわたしの部屋のベッドスプレッドの中心が盛り上がり、その下でネズミよりは確実に大きな何かが、モソッ!モソモソッ!とこちらに向かって動いたのでギョッとして固まった。
日本では見ない、謎の動物が入り込んだのかと、冷や汗をかき、息を止め凝視した。
布の端から顔を出したのは、ネコだった。留守の間にわたしの部屋に入り込んでいたのだ。

「借りてきたネコ」という言葉があるが、向こうからすると、こちらが「借りてきたニホンジン」だ。ネコのサシャとBooも、こんな具合に歓迎のあいさつをしてくれた。

あさ起きて朝食、サンドイッチとりんご1個のランチを用意してもらい、公共のバスに乗り学校へ行く。授業を受けて、休憩時間に宿題をすませ、帰ったら少し夕食の準備を手伝って食事。リビングでテレビを見ながら、軽く話をして就寝。土日は観光をした。

日本とは多少の違いはあっても、違和感のない生活習慣だったが、
空も、空気も、家も、道路も、自然の風景も、カナダの人も、見るもの全てが新鮮でありキラキラしていた。

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ホームステイでは、親戚や知人でもなく、大学が準備、設定した異国の全く知らない家庭に入り、行動範囲の全てのものに広さを感じ、日本のコンパクトな生活とは違っていたが、
たったの3週間の生活でも、人生で初めての海外がカナダであり、ホストファミリーはわたしにとって第二の家族となった。

わたしの実父母は先に亡くなったが、カナダにも父母、家族がいることが心の支えにもなっていた。

そして数年前、ホストファミリーの父母が亡くなるまで毎年クリスマスカードを送り続けたが、その度に、それ以降も人生の幸せな思い出にひたる時間をくれることになり、短期の留学でも人生の貴重な経験になったことには、間違いない。