「ピンチをチャンスに変えるのが僕の仕事です」
その言葉を聞いた時、私は挫折から立ち直った。
大学入学式、多くの新入生が期待で胸を躍らせているなか、私は下を向いて1人ぼっちだった。
なぜなら、大学入試という人生を左右するであろう大事な時期に、明確な目標もなく、信頼していた友人には裏切られ、高校に通うのが億劫になってしまった私は、受験勉強に打ち込むことができず、その上浪人する勇気もなく、滑り止めで受験していた大学に入学を決めたからである。
「私に明るい未来なんてない。死んだも同然。4年間、誰とも関わらずにやり過ごそう」
周囲の新入生とは対照的に、人生に絶望していた。
高校時代の人間関係や受験への後悔を抱きながら過ごしていた。
顔はやつれ、表情は乏しく、同じ高校だった知り合いを見ては今の自分と勝手に比較し、恨んでしまった。
◎ ◎
入学から半年が経った夏のある日、突然父から連絡がきた。
内容は、仕事でトラブルがあったとのこと。
詳細な内容を聞くと、私は震えが止まらず、立ちすくんでしまった。
しかし、父に焦っている暇はなかった。
「ピンチをチャンスに変えるのが僕の仕事です。人生はなんとかなります」
その言葉通り、トラブルを収束させた上、より仕事を発展させた。
「私も、ピンチをチャンスに変えられる人になりたい」
そう思い、自分の選択や歩んできた道が間違えていなかったと、自分の選択が正解だったと思えるよう、努力しようと決意した。
夏休みが明け、後期がスタートした。
「絶対に後悔しないような大学生活を送って、高校時代の知り合いを見返したい。自分の選択を正解にしていこう」
私の目標は、以下の通りだ。
・大学内でトップの成績を維持すること
・資格の取得
・英会話をマスターすること
・アメリカに1年間語学留学すること
・特待生枠に入ること(留学費用と学費の免除)
上記の目標を掲げ、大学生活に身を捧げた。
◎ ◎
努力の甲斐あり、各授業で高評価を獲得し、英会話学習や資格の取得も順調だった。
「大学2年時に1年間カリフォルニアに留学する」
そう決意した矢先、コロナが猛威を振るい始めた。
留学は断念せざるを得ない状況に陥ってしまった。
「ピンチをチャンスに変えるのが僕の仕事です」
今こそ、ピンチをチャンスに変える時ではないか。
そこで、1ヶ月間程アルバイトを休み、オンライン英会話や資格の取得に打ち込んだ。
オンライン英会話では、特にフィリピンの先生と多くお話しできた。
フィリピンの先生は、陽気で明るく、おおらかな先生が多く、自分の居場所ができたような気持ちだった。
「いつか、フィリピンに行きたいな。いつ行けるのかな」
◎ ◎
大学2年生になる前の春休み、オンライン上で学科全体の集会が開催された。
「春休みに打ち込んだことを発表してください」
私は上記の内容を発表し、多くの学生や先生方から賞賛された。
とても嬉しく、今までにないほどモチベーションが上がった。
また、素直に「すごい」と褒めてくれる学生や、笑顔で「素晴らしい」と声をかけてくださる先生方に出会うことができ、なんて恵まれているのだろうと感じることができた。
大学で授業がある間に、アメリカ留学の目標は叶わなかった。
しかし、4年次の卒業間近の2月、1ヶ月間大好きなフィリピンに留学することができた。
多くの友人ができた上、英会話も学習でき、何よりも大好きなフィリピンの方々、多くの素晴らしい文化に触れることができた。
大学も優秀賞を受賞することができ、3年間学費の免除も維持することができた。
父の言葉があったからこそ、コロナ禍という「ピンチ」を「チャンス」に変えることができた。
コロナ禍という先が見えない、真っ暗なトンネルの中で、努力をするきっかけである「言葉のプレゼント」をくれた父には感謝しても仕切れない。