「やりたいやりたいって、子どもじゃないんだから、いい加減にしなさいよ」
基本は自分の子どもの夢を優先する母が珍しく、最近の私に放った言葉。

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私は幼少期からいろんなものを欲しがったし、やりたがった。
クラシックバレエを続けながらバレーボールもしていたし、自分の偏差値に遠く及ばない高校を第一志望にしたり、同じく合格最低点に及ばない国公立大学を第一志望にしたり。

夢をたくさん持っていたと言えば聞こえはいいが、周りの大人から見ると諦めの悪い欲張りだっただろう。

思えば、大学受験に失敗してからだろうか。母は、私の「夢」や「やってみたいこと」に対して応援よりも慎重な姿勢を見せるようになった。

大人になった私は、夢を多く持っている方だと思う。例えば、書籍の発行、ライティングスクールの継続受講、妊娠・出産、など。

私が健康で働いていれば、周りから何も言われないかもしれない。
しかし、持病のうつが悪化してからは、ドクターストップで働けていない。つまり、私は経済的に夫の収入に依存しているのだ。

それもあって、「ZINEを発行したい」や「妊娠出産に挑戦したい」というと、先述した母の言葉が降ってくるのである。

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第一志望の高校にギリギリで受かってから、大学受験に失敗するまで、母は、私の夢をいつでも応援してくれた。母が1番の理解者だった。

だから、冒頭の母の言葉は私の心にグサッと刺さり、涙が流れてきた。

もう私のこと、応援してくれなくなっちゃったんだ…。

どんなに周りに「無理じゃない?」とか「ちょっと厳しくない?」と言われたって夫と母が応援してくれるなら、気にせずに頑張れた。
でも今はそうじゃない。

母は、結婚して夫と暮らしているのだから、夫を一番大事にしなさい。自分を1番にしていいのは独身のときだけよ、と続けた。

たぶん、夫を失うことがないように私を諫めてくれたのだと思う。だけど、私はもう、母に夢を語るのはやめようと思った。幼少期から1番近くで応援してくれた母から、また反対の言葉を聞くのがこわい。

夫は生活が回るところまでなら、と私の夢を後押ししてくれる。気持ちの余裕があるときには、一緒に作戦会議をしてくれる。
今となっては、私の1番近くで応援をしてくれるのは夫なのだ。

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日が経って、書き物をしているときに母と子の4人暮らしをしていたことを思い出した。

母は病弱ながら、自分にできることを増やし、外仕事ができない代わりにたくさんの資格を取って、水道の図面を書く仕事をバリバリとこなしていた。

母が、帰宅してご飯を食べてから、リビングで勉強する姿を見て、私も勉強を頑張ろうと思った。

けれど、その母ももう還暦を越えた。長時間モニターを見ながらPCを操作するには、目と姿勢が限界らしい。

母が私を応援していた頃は、母がバリバリと働き、一家の大黒柱として収入を得ていた。ダブルワークもしていたから、ちょっと無理なお願いも聞いてくれた。

でも今はどうだろう。もともと病弱だった母の体力は年々落ち、元気だった祖母も認知症の手前にいる。昔ほどバリバリ働けずにいるのだ。

あぁ、母は老いたのだ。

そう感じると、あの言葉もスッと入ってくる。
母は、何かあったとき自分がフォローできなくなってしまったから、手放しで私のことを応援できなくなってしまったのではないだろうか。

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私はもう、母に夢を語ることはない。反対されて傷つきたくないから。
けれど、実現できたなら、夫の次に報告したい。きっと、私の頑張りを認めてくれるから。

私はきっと、夫に反対されたとしても夢を持ち続ける。夢を言葉にしたい私は、途方もない夢を言葉にしても、あたたかく見守ってくれるコミュニティを見つけた。

夢を語るか語らないかは今後も私にとって大きな決断になると思う。もし語らなくても私の中で夢がなくなることはない。私は私の「やりたい」を我慢せずにはいられないのだ。