まだ知らない「つらい恋」。きっと私は「いつも通り」を頑張っている

つらい恋というものを私はしたことがないかもしれない。今までを振り返ってみたが、心当たりのあるエピソードが見つからなかった。ドラマや映画をみていると、成就しなくて悔しい思いをすることや、別れにとことん涙する場面が描かれている。ドラマなので、きっと大きめな感情の動きを描いているのだと思うが、私には現実味がない。
そんなこともあるのだと他人事としか受け取れず、ストーリーのひとつ以上の捉え方ができないのだ。だから私が今後、つらい思いを経験したとして、どのようになるのか、興味が湧いた。失恋、別れにとんでもなく感情を費やし、自分が枯れるという経験をしたならば、私は何を思うのだろう。言葉としてつらいといえるのだろうか。精神的に追い詰められていくのだろうか。せっかくのきっかけなので、考えてみることにする。
そもそも、私がつらい恋を経験したことがないのは、つらくなる前に諦めてしまうからだ。なんとなくこの先が駄目になる、実らない、と察する能力でもあるのだろうか。防衛本能はかなりアンテナを立てて働かせている人ではある。ここが関係しているのだろうか。
相手の気持や行動を深く考えることや、予想することもあるので、恋愛においても本能的に予知しやすいのだろう。相手に快く迎え入れてもらえていない、うっとうしい、恋愛対象として見てもらえていない、と感じるとすぐに心を閉じる癖がある。瞬時に判断してしまうので、相手に気づかれる前にはモードが完成している。相手からすると最初から心を開いていないスタンスだったと感じられることも少なくない。
人間関係全般において、こういったケースがほとんどなので、恋愛に発展することがほとんどない。すなわち、恋をするよりも遥かに早く、人間関係として成り立たないことになる。恋が発展しなければ、感情が大きく動くこともない。好きにならなければ、喜びもドキドキも突出することはなく、悲しみや嫉妬といったマイナスな感情も大きく出てこない。だからつらいという感情も頭を悩ませるほど起こってこないのである。
では、私が感情的になるまで夢中になった相手を見つけたとしよう。おそらく私は、その人のことで頭がいっぱいになるはずだ。付き合う前も、付き合ったあとも、デートの予定があれば、数日前からソワソワしだすだろう。会っているときは、全身が熱くなるほどの高揚感を感じながら、なんでもないふりを装う。ドキドキや嬉しくて舞い上がっている感情を必死に抑えて平常心に見せている。
そんな相手だからこそ、自分にベクトルが向いていないとわかったときは心底悲しい。わかってすぐは怒りの感情すら湧いてきそうだ。興味を無くすなら、最初から話しかけてくるな、とか、ひょいひょいと彼について行ってしまった自分を深く反省する。
反省が故の怒りもあるだろう。涙こそ出ないものの、精神的にはかなり来ているはずだ。今すぐ取り消したい思い出として自分の中に残してしまうし、何度も思い出してしまう。忘れればいい話ほど、蒸し返しては一人で悶々とするだろう。
その先は、表面上は何もなかったかのように振る舞う。仕事もいつも通りの顔をしてこなす。時間が解決してくれると信じて、どうしたら時間がすぎるのかを考えながら過ごすだろう。
恋愛でなくても、落ち込んだときには時間に頼り、起こったことを思い返さないことが一番早いと思っている。無駄に考える時間を自分に与えてしまうより、新しく上書きしたほうが何倍も立ち直るのが早い気がする。
つらい恋があった先は、今までの日常が待っている。どれだけ一旦停止をしたくても、仕事も日常も待ってくれない。いつも通りを続けるしかないのである。
なので、私はいつも通りを続けるが、つらい経験をした直後は、いつも通りをすることを頑張っていると思う。時折腹を立てながら、あのときに戻りたいと思いを馳せながら、時間が進まないとため息をつきながら。
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