チョコミントが好きだった。
あるいは、チョコミントが美味しいと教えてくれた人のことが好きだった。
(過去エッセイ:あの全てを思い出す。わたしが好きなのはチョコミントか、その記憶か)

チョコミントの季節を恋しく思わなくなったのはいつからだっただろう。
チョコミントの季節が来たことを憂うことがなくなったのは、いつからだっただろう。

◎          ◎

あの頃、本当にあの人に心酔していた。
だが、思い出そうとすればするほど確かな記憶は定まらない。
逢瀬の空気、ぼやけた顔や声。どれも触れようとした途端に溶けて、靄の中へ散っていく。

残るのは、頼りなく薄い断片ばかりだった。

それから思い出せるのは、自分が押し潰されるような感覚。あの時の自分の至らなさや不甲斐なさ、幼さだけはやたら鮮明だった。

あの人に良く見られたくて仕方がなかった。
あの人の世界を知りたくて必死だった。
あの人になりたかった。

ちょっと話しただけ、ちょっと触れただけ。
わたしたち二人の間にはただそれだけのことしかなかったのに、"この人しかいない"と確信してやまなかった。

◎          ◎

わたしは、二十歳にもなっていなかったと思う。
人生経験も恋愛経験も何もかもが未熟だったから、そんな薄っぺらいものにしがみつくことしかできなかったのだと思う。

会えない期間や連絡が取れない時間はもちろん、あの人と会っていても話していても苦しかった。何もかもが滲んでいた。とにかく辛かったことも、よく覚えている。

"もう、やめにしよう"
あの人にも自分にも振り回されて疲れ切ったわたしは、そう決断した。
それでもわたしは、誰かに縋ることをやめられなかった。

その後もいろいろあったが、今のパートナーと出会って、本気で人と向き合うことができるようになった。

それは、曲がりなりにもあの人を必死に追いかけた自分がいたからだと思っている。

◎          ◎

そもそも、わたしたち人間は誰しもが一人の人間として存在している。そしてそれは、誰にも脅かされてはいけないものである。

わたしはわたしであり、他の誰にもなれない。そしてそれはすなわち、すべての人が、自分以外の誰にもなれないということだ。

それにもかかわらず、"あの人になりたい"と強く願ってしまった。
自分と相手は違うのだということを理解して、切り離して考えなければ恋愛に限らず、どんな関係もうまくいかない。

それを体感として教えてくれたのは、あの人だったと思う。

パートナーも本気で向き合ってくれたというのも大きいが、パートナーのことを、一人の人間として認め、向き合うことができていると思う。
かつては喧嘩も絶えなかったし、別れも復縁も経験した。それでもパートナーのことも、自分のことも、見失わないでいられた。どちらもその実体は確かだった。

その時もまだまだ未熟だったと、今となっては思う。
パートナーには相当嫌な思いをさせたと、今なら思える。

今もきっとまだ未熟だけれど、一人の人間として、パートナーと共に成長していくのだろう。そして、感謝やお詫びを一生かけて伝えていくつもりだ。

先日、チョコミントを食べた。
もう、味覚も心も動かなかった。

チョコミントでなければ満たされなかった空っぽの何かは、わたしの中にはもう無いのだと悟った。