ただ、一日中、凪。スマホを巾着袋に封印した日

試しに、スマホを一日封印してみることにした。
夜寝る前に、充電済みのスマホを巾着袋に入れてヒモをしめ、丸一日経つまでこの袋は開けないと決めた。
外出の予定も特にない、家で仕事をする予定の日だったから、あまり抵抗を感じずに決意することができた。
さて、丸一日スマホを封印した結果。
特に何も起こらなかった。
むしろ、「起こらなかった」ことの有難みを思い知らされるような一日だった。
まず、一日雨が降ったり止んだりを繰り返す、かなりの低気圧の日だったにもかかわらず、頭痛や倦怠感をほとんど感じなかった。
さらに、低気圧の日にかぎらず、家で仕事をしていると「ちょっとやる気が出ないからひとやすみ……」なんて言い訳をしつつ、つい何時間も昼寝をしてしまうようなことが多々あるのだけど、この日はそれも一切なかった。
スマホを見たい衝動に駆られたり、無性にイライラしたりということもなかった。
ただ、一日中、凪。
心はおだやかで、やらねばならない仕事はサクサクと滞りなく進んで、ついでに本を読んだり映画を観たりすることもできた。
そして、その凪の一日が、やみつきになってしまいそうなほど心地よかったのだ。
普段の私は、ほぼ一日中スマホを触っていると言っても過言ではない。
スクリーンタイムが9時間以上を記録することもざらにある。
仕事中も、調べものやメモしたいことを思いつくと、すぐスマホを手に取ってしまう。
歩いているときやシャワーを浴びているときも、スマホから動画やポッドキャストや音楽を流して、聞くともなしに聞きながら。
それがだんだん嫌になって、SNSアプリに制限をかけたり、スマホ全体をおやすみ状態にする「休止時間」を設けたり、いろいろと画策したけれど、大して効果はなかった。
ところが、いざスマホを袋に入れて封印してみたら、いともあっさりとスマホから離れることができた。
一日のうち、スマホの存在を思い出したのは、たった数回。
自分で作ったお昼ごはんの写真を撮ろうとして、スマホのカメラがないと撮れないことに気づいたとき。
タイマー機能を使おうとしたとき。
スマホに入っているメモアプリに、買いものメモが入っていたのを思い出したとき。
それでも、スマホを袋から出そうという気にはならず、写真はあきらめ、タイマーではなく時計を見て、買いものメモは思い出せるかぎり、紙にえんぴつで書き出した。
スマホがないと、ぼんやり、だらだらするタイミングが大幅に減る。
今までスマホから流れる動画などをBGMにしていた時間(お皿洗いや洗濯、スーパーへの道中やシャワータイムなど)は自動的に無音になるから、そのあいだは考え事がはかどる。
すると、ほかの時間はぼんやりすることもなく、思い立った瞬間にサッと行動することができるようになった。
晩ごはんを食べ終わったあと、間髪入れずに立ち上がってお皿を運び、そのまま食器を洗い始めることができたときには、さすがに自分でも感動した。
思えば、私にとってスマホを触る時間は、激しい音楽の鳴っているクラブに通うようなものだという気がする。
行けばお酒が飲めて、知り合いと話ができて、知らない人もたくさんいて、みんな踊ったり笑ったり喋ったりしている様子を見ることができる。
ただ、中には言い争いをしている人もいて、心がざわつく噂や肌に合わない音楽を耳にする瞬間もあって、楽しい瞬間よりも情報の洪水に呑まれている瞬間のほうが多くて、帰る頃にはぐったりしてしまう。
そんな場所には、時間を空けず何度も通うべきではないな、とわかる。
ごくたまに、短い時間だけ滞在して、知り合いに挨拶して、お酒を一杯飲んだらサッと帰る。
私はスマホとそういう付き合い方をしたほうがいいのだ、と痛感した。
またスマホ中毒に戻りそうになったら、丸一日スマホを封印してみてもいいな、と思っている。
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