次の言葉を探す私に、彼女はキスをした。失いかけた自分、抜け出した夏

多分私は、あの人に夢中だった。
記憶の中の彼女の顔は少しモヤがかかっているようで、ぱっと思い出せない。
でもあの時の感情たちは、少し蓋を開けただけで溢れ出してきてしまう。
だから今だけ、少し思い出した今だけ、書いてみることにする。
マッチングアプリで会話が始まってから数日、初めて彼女に会った。
渋谷のハチ公前で、俯いて座っていたその人を見つけた。
とんとん、と肩をたたくと、その人は驚いた顔で私を見た。
「思ったより、背高いんだね」
一緒に私のお気に入りのメキシカンの店へ向かった。
向かい合わせで座ると、その人は恥ずかしそうに笑う。口元に手を当てて、俯きながら「ちょっと緊張してる」と呟いた。
終始、2人の間に何か言葉では言い表せない空気が漂っているのを感じた。
私は少し戸惑っていた。
あんなに甘い目で見つめられていたから。
お店を出たあと、その人の手を取り、一緒にシーシャの店へ向かった。
カウンターに並んで座る。
ライムのシーシャとワインを頼んだ。
彼女が私にシーシャを渡したとき、膝をこつんと私の脚にぶつけてきた。
横目で彼女をみると、目が合った。その瞬間、彼女が私の腰に手を回してグッと体を近づけてきた。
気づいた時には、彼女の唇はもう私のと触れていた。
私は完全にやられていた。
どろどろに溶けた気分だった。
もう止められなくて、店を出るエスカレーターの中でも、路上でも、捕まえたタクシーでも、彼女のアパートに向かう途中でも、彼女とキスし続けた。
こんな夜になるなんて思ってなかった。
朝の電車が嬉しかった。
「多分、あたなは特別な人だと思う」
家に着いてから、彼女から来たメッセージ。さっき別れたばかりだったのに、もう会いたかった。
毎日電話やメッセージをしていた。
私は在宅シフト勤務だったから、仕事も身が入らないまま彼女とのメッセージに夢中だった。
「今から2丁目いくけど」
「1時間で着く!」
夜勤明けでも、日勤終わりでも、夜勤前でも、オフの日でも、友達と会った直後でも、いつでも会いに行った。
彼女がいる場所にはすぐに飛んでいった。
たまに私のアパートにも来てくれた。
二人で公園までドライブして、一緒に芝生の上を走った。
彼女は車の中でSnoop Doggを流していた。
信号で止まるたびに、顔を見合わせキスをする。
中華街で買った小籠包を、車の中で食べた。
みなとみらいの丘の上から、横浜の夜景を見ながら、ふと聞いてみた。
「これからどうしたい?」
「どうだろうね、わからない」
「私たちのことだよ」
「わからない」
この人の特別になりたかった。この人が求める私になりたかった。
次に言うべき言葉を探していたとき、彼女はただ私にキスをする。
少しズキズキした。
でも私はただキスを返した。
次の日の朝、私のアパートで起きた。
明日仕事だから、帰らないといけない。そう言って、彼女は私のアパートを去った。
彼女を見送って、自分の部屋に戻ると、2人が寝ていたベッドの上の残骸が目に映った。冷たい床に無造作に落ちていたスリッパ。
足で拾い上げながら、とりあえず彼女にメッセージを送った。
「運転気をつけて帰ってね」
その朝から、夜まで1日返事がなかった。これまでそんなことなかった。
その日夜勤だった私は、夜勤中にメッセージを送った。
「何かあるなら言って」
すぐに返事がきた。
「この関係が変わることはないと思う。これ以上真剣になることもない」
頭が空っぽになった。
終わった。
「私があなたに合わなかっただけだね。残念だけど、私は大丈夫だよ」
そう言って、私は通知をオフにした。
思えば、ただ身体の関係だけだったんだ。
彼女は私のこと、何も知ろうとしてなかった。
私は彼女の何が好きだったのだろう。
振り返ってみたけど、思い出すのは彼女に見つめられたときの、あの眼差しばかりだった。
一ヶ月、いやもっとかな。
彼女を中心に回っていた生活が終わった。あっけなかった。
しばらくもぬけの殻になった。
でも何とか自分を立て直したくて、友達に会ったり、河川敷を走ったりした。
でも、自分の部屋に帰ればまた虚しくて、2丁目のクラブに足を運んだ。
多分、結構ボロボロだった。
出口が見えない闇にいる感覚だった。
多分忘れることはできない。消すことはできない。やり直せるなら、そうしたかった。
でも、自分を大事にしたい。そんな気持ちがあったから、二度と彼女にメッセージを送らなかった。
嫌だな、2年も経っているのにまだこんなに鮮明に覚えているなんて。
もうこの感情には蓋をかぶせておこう。
あの時の私には、さよならを言ったから。
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