自己嫌悪と葛藤の末にたどり着いた「夫と生きる」という最高の選択

私には夫がいる。彼のことが世界で一番好きだ。
毎時間毎分毎秒ずっと一緒にいたいし、彼がいない世界なんて考えられないし、彼の身に何かがあったら私が身代わりになりたい。彼のためにできることは何でもしたい。
時々、私は号泣する。いずれどちらかが先に死んでしまうからだ。できれば私が先に旅立ちたい。彼のいない世界なんて生きていられないから。
でも、私が先に旅立ったとして、彼は私に寂しい思いをさせずすぐこっちについてきてくれるのだろうか。またどこかで会えるのだろうか。と言っても、やっぱり彼をこの世に残して私が旅立つのも嫌だ。誰がご飯を作ってあげるのか、誰が洗濯してあげるのか、誰が彼を支えてあげるのかが心配だし、結婚してくれたのに離れ離れになるのは申し訳ない。
と、これをPCに打ち込みながら出社中の彼を思って泣けてきた。違う違う、今は私のよわよわな気持ちを吐き出す時間じゃない。
というわけで、彼への愛の発表はここまでにしたい。とにかく、私は夫が大好きだ。彼との人生を選べて、心の底から幸せだ。
恋愛体質な私は当然「つらい恋」というものもたくさんあった。
元彼たちとの別れ、半ばヤリ捨てされたこと、私は楽しいと思って会っていたのにヤリモクだったこと、団体の中で個別に誘われたから好意があると思ったのにラブホに連れていかれたことなど、恋していたのに思う結果にならないこともあった。
こちらから別れを告げたり、告白してくれたのに応えられなかったりしたこともあった。
こんな私なんかのことを好きになってくれて、一緒に幸せになりたい、私とたくさん過ごしたいと選んでくれたのにお断りしなきゃいけなかったことは、自己肯定感の低い私にとっては今でも心が苦しくなる経験だ。
でも実は一番つらかったのは、今の夫との恋だ。
体目当てでもなかったし、とんとん拍子で付き合ったし、決定的な違いもなかった。
私は付き合いたてのあの時、彼にツンツンしていたことが今でもつらい記憶だ。
私は、付き合う相手が将来有望か、高身長、高学歴かなど、社会からの視線を気にしないで、好きになった人がタイプ、という人間だと自負していた。
だけど、今の夫と付き合い始めた時、私は実は人からの見られ方を大事にしてしまっていたと気づいた。
まだ恋愛の段階の時、かがみよかがみに「彼は理想の結婚相手のタイプでない」という内容の投稿をしていた。
改めて読み返すと、どうやら私は社会の目線を気にして彼氏を選んできていたようだ。
そんな中、夫のことは初めて所属や年齢抜きに好きになったばかりだったもよう。そしてそれを受け入れられなかったもよう。
だから必要以上にツンツンしていたんだと思う。
私はこんなに素敵な人を無意識にラベリングしていたのか、と今でも当時の自分に腹が立つ。ビンタくらいはさせていただきたい。
自己肯定感が低いくせに、他人のことをそういう目で見ていた当時の自分のことが大嫌い。そして、無意識にそういう目で見てきていた自分のことを一生許せない。
私にとっての最後の恋、夫のことをそんな風に扱っていたという申し訳なさやら自分への嫌悪感やらで、今でも夫との恋愛だった時期を思い出すと真っ先に暗い気持ちになるつらい恋になってしまった。
しかし、付き合い始めて数か月経ったある日突然、素直にならないとと唐突に思い立ち、1秒後に「あなたのこと、ちゃんと好き。ツンツンしているけど、実はずっと前から大好き」と伝え、それ以降はデレデレした年上彼女であり続けた後、結婚した。結婚して3年目の今でも年下夫にデレデレしている。
私は双極性障害と癲癇という病気を治療中だ。
そんな中、今のゆる~い夫のおかげで「人と比べたって、病気なんだからしょうがない。自分に合わせた生活を送ろう」「やむを得ず襲われる病的な希死念慮が来ても、夫のために生きよう」と心から思えるようになった。
もし私が他人の視線を気にした誰かと結婚していたら。
双極性障害と気づかず、精神論も交えて無理して働いていたかもしれない。
私の働きたかった国際関連の分野で頑張っていたかもしれないな。
もっと買い物したり、パスポートにいろんな国のスタンプを押せていたり、丸の内まで20分の築浅の駅近のマンションの5階あたりに住めていたりしたかもしれない。
友人たちと比べて劣等感を感じることのほうが多いが、定期的に私は思い出すようにしている。
年老いた人や偉人の「お金や仕事よりも大切なものがある」という類の名言はどっさりあるということを。「家庭と自分を優先して、幸せになろう」というようなメッセージが多くの映画に隠れているということを。
1番つらい恋をした人との結婚の先に、私は偉人や映画のメッセージにある人生で大切にすべきものをどちらも手に入れたのだ。
こんな幸せをこれからも2人で大切に育てて、ハッピーエンドを長引かせていきたい。
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