教育実習先の先生に恋をした。それっていけないことですか

皆さんに問う。先生と教え子の恋愛っていけないことですか。それは、法律や裁判で裁くような許せないことでしょうか。
人生で私の今までで一番辛かった恋について話す。
ここからは、私が毎日つけていた日記を抜粋してお送りする。
実習初日、教育実習生だった私はあまり眠れずに実習校に向かい実習を早速実施した。初めに職員室での自己紹介から、担当クラスでの学活での自己紹介を済ませて、授業の見学を行った。その前に、実習の担当の先生と顔合わせして名前も覚えた。若い男性教員だった。担当は英語であったため、英語の授業を中心に見学をすることになった。その時は、全然意識していなかった。
3日目、担当の先生が出張のため、帰りの学活を実習生の私が行うことになった。初めての学活での話も緊張しながらもなんとか終えた。その後、翌日に担当の先生に褒められたし、感謝もされた。その翌日になっていきなり健康観察を初めて行った。一番緊張した瞬間だった。
その日からだった。参加したくもなかった実習だったはずが、この実習で「この先生に褒められたいな」と思うようになった。「いや、むしろ、叱られてもいいから相手にしてもらいたいな」とも思うようになっていた。
実習が終わった日に、告白したいとも思っていた。好意がばれないように、頑張って実習に精一杯励んだ。そんな中、実習中に同じ職場室の中で他の先生同士の会話から、その先生は既婚者であることを聞いた。自分の気持ちを恥じた。結局、無事に実習が終わった後、感謝の言葉を伝えてその先生とはそれっきりになった。
大学4年生の学生最後の夏、教員採用試験にも落ち、講師登録をして、進路が曖昧な状態のままだった。そんな時にあるものが支えだった。実習期間中に受け取った、実習記録簿の上にコメントの書いてある付箋だった。毎朝、職員室に入るとその記録簿に貼られた付箋のコメントがいつも目に入った。辛い実習の支えだった。やっぱり、その先生のことが忘れられなかった。実習校が自分の母校であり、かつて中学生当時お世話になった先生がいたから、これ以上恥ずかしい思いをしたくないから、お別れしたけど、忘れられない存在になっていた。
だから、大学4年のこの実習前まで小学校の先生を目指していたけど、英語を教える中学校の先生になろうと決心を変えた。中学校での実習は小学校の実習より最悪だったが、決意は変わらなかった。
そのあと、講師登録も中学校に変えて手続きを行った。そして、中学校の講師になった。もちろん、英語の授業は最悪だった。部活は経験のあるバレーボール部の顧問になって、週初めの2日は朝練習があった。また、教員採用試験も受けた。そんな多忙な日々を送っていても、英語の授業だけでも見てもらいたいと願っていた自分がいた。今考えてもおかしい話だろうと思う。もちろん、先生はこない。どころか、誘えなかった。その時、体に限界が来ていたから。講師はその後も続けた。
毎年、教員採用試験の結果もお伝えしていたが、本人と話すことはなかった。実習のときで終わっていた。
かなり悲しいし、辛い2年間。いや、3年間を送っていたと思った。もう一度、顔でなくとも声だけでも聞きたいと思っていたが叶わなかった。
教員採用試験は合格したが、「体に限界がきた」ため、休職した。そして今はやめている。
これ以上続けても、講師をしている時に、十分に向き合い切れてなかった教え子たち、生徒がかわいそうだと思った。自分の思いの為に先生をやっている、我儘な教育者に生徒は教えてもらいたくないだろうと思った。
今でも、後悔しているかもしれない。先生になったこと、その担当の先生のことを好きになったこと、思いを寄せていたこと。
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