他人の幸せを心から素直に受け入れられないあの感覚、きっと誰もが一度は経験したことがあるだろう。

その人が大好きで、心からその幸せを祝いたいと思いながらも、どうしても心の中に嫉妬や寂しさが湧いてきて、結局その人の幸せに素直に笑顔を向けられない自分がいる時、そんな自分に苛立ちを感じたことはないだろうか。

私にとって、この感覚はずっと言葉にできなかった、いや、むしろ言葉にするのが怖かったものだ。この感覚に触れるたびに、自分がどれほど嫌な奴なのかと思い知らされ、そんな自分を憎み、どうしてこんなにも他人の幸せに素直になれないのか、自分が許せなくなった。

「本当にその人のことを思うなら、その人の幸せを見て、あなたも幸せを感じなきゃいけないんじゃない?」母が何度も投げかけてきたこの言葉。誰もが知っている、当たり前のこと。

しかし、私にとっては、その言葉が心の中で鋭く突き刺さる。何度も、何度もその言葉が私を苦しめた。

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アメリカの高校に通う二年生だった私には、憧れの先輩がいた。彼女は成績優秀、スポーツ万能、生徒会の会長を務めるような、誰もが認めるリーダー。そして、容姿端麗で、ユーモアも溢れる。

私だけでなく、誰もが彼女を羨望し、彼女のようになりたがっていた。どんな学校にも、どんな場所にも、きっとこういう人物は存在するだろう。

一年生の終わり、私の人生に大きな転機が訪れた。なんと、憧れの彼女と同じ寮に住むことになったのだ。

彼女と同じ空間で生活し、共に時間を過ごすうちに、私の中で彼女の「完璧さ」が少しずつ崩れていった。彼女の輝かしい成功の背後には、並大抵ではない努力や苦悩、そして強烈なプレッシャーが隠れていることを知ったからだ。

私もまた、完璧主義で負けず嫌いな性格だから、次第に彼女と自分を重ね合わせるようになった。常に一番でいたいという気持ち、いい大学に入り、素晴らしい仕事を手に入れ、何もかも最高でいたいという欲求。私たちの志は同じだった。そして、いつの間にか親友となり、何度も困難を共に乗り越え、笑ったり泣いたりした。

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そんな中、私はある時、思い切って彼女に言った。「あなたの成功を見るたびに、何だか寂しくて、悲しい気持ちになるんだ」簡単に聞こえるその言葉は、私にとっては決して簡単ではなかった。

彼女はその言葉に驚き、眉をひそめて尋ねてきた。「どういう意味?」私は、自分の心の中を整理しながら、必死で答えた。「あなたが常に私より優れているように感じて、なんだかもどかしいんだ。あなたの成功は心から嬉しいけど、それと同時に、自分の壁がますます高くなっていくように感じて……」その瞬間、自分がなぜ素直に喜べなかったのか、やっと理解した。嫉妬でも意地悪でもなく、私が他人と自分を比べてしまうからだと気づいた。

彼女はにっこりと笑って言った。「あなたも、自分の壁を作らないとね。誰も他人の壁を越えることなんてできないよ。私の壁は私にしか越えられないし、あなたの壁もあなたにしか越えられないんだよ」その言葉に、私は目の前が明るくなったような気がした。

自分が他人と自分を無理に比べていたこと、自分が誰かにならなければならないと思い込んでいたことに気づき、深く反省した。彼女になることなどできるはずもないのに、ずっと彼女を目指して、自分を無理に追い込んでいた。

私が越えるべきは、他の誰でもなく、私自身が作った壁だったのだ。

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このような会話は、時に気まずくなりそうだが、私たちの間にはそのような気まずさは一切なかった。むしろ、言葉にしたことで、私は自分の中で彼女の存在がそれほど大きなプレッシャーではなくなったことに気づいた。

周囲がどう思おうと、そして私がどう感じようと、私は彼女にはなれないし、なる必要もない。だって、自分が作った壁を越えられるのは、他の誰でもなく自分自身だけだから。

自分の感情を言葉にするのは、想像以上に難しい。なぜなら、私たちは自分の心の中で何を感じ、何を思っているのかを、実際には本当に理解していないからだ。

悲しい、悔しい、寂しい、そう感じていても、それを言葉にしてみると、まったく新しい自分に出会うことがある。そんな瞬間こそが、人間であること、感情を持つことの美しさなのだと、この出来事から私は感じた。