好きだったひとの幸せを願い本を選んだ。本を贈ることはまるで祈りだ

壮行会でたくさんのプレゼントを渡されるそのひとを見て、わたしも何か渡したいなと思いぐるぐる考えた。寒い国へと行くひとなので手袋などの防寒具も考えたが、告白の後きっぱりとふられている身でそれを渡すのは、何だか重たいような気がした。お酒にしようかとも思ったけれど、荷物は少ない方がいいだろうから、あまりかさばるものはNG。うーん、意外と難しい。
考え込んだ結果、ふと思いついたのは、本だった。文庫本二冊くらいであれば、そうかさばらない。海外に行って日本語が恋しくなるときだって、あるだろう。
本を選びながら、好きだったひとが海外で寂しくならないといいな、と思った。その人は、実家を出て海外でいきなり一人暮らしを始める。心細くなってしまうことはきっとあるだろう。
そう考えると、鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』がいいんじゃないかなと思った。寂しさって、なんなんだろう。わたしたちは寂しさとどう向き合えばいいんだろう。そんな疑問に答えてくれた本だったから。寂しさに耐えかねたときにこの本が傍にあれば、この本が手助けをしてくれる……かもしれない。
そんなことを考えながら本をめくり、ふと思った。本を贈る行為は、まるで祈りを捧げるような行為だ。
好きだったひとはわたしよりずっと優秀な研究者で、なおかつ誠実だった。誠実に告白を受け取って、誠実にきちんとふって、おかげで「ただの仲が良い同僚」へと戻ってくることができた。とてもいい人だった。
けれど、彼のことが好きだったころ、わたしはとても辛かった。ひどい情緒不安定に悩まされた。まるで自分の足元が崩れていくみたいだった。
研究に邁進する彼の姿を見るたびに、自分と比べ、自分の足りなさを自覚して、胸が苦しくなった。お前はこのままじゃだめなんだと自分を責め立てて、何とか努力しようと足掻いたけれど、それでもなお彼には少しも敵わなくて、自分が嫌いになりそうだった。
そしてそもそもそうやって努力で自分を高めながら生きることが正しいのかどうか、分からなくなるときもあった。卒論シーズン、彼から指導を受けている卒論生たちを見て、訳の分からない嫉妬心に胸を掻きむしられて泣き喚いた。
わたしは、彼ほどではないが、それなりに辛抱強い。目の前に問題があれば、それが解決するまで粘って自力で解決できることが多い。でもそんな辛抱強い女なんかより頼ってくる女の方がもし「女としてかわいい」なら、わたしは一体どうすればいいんだろう。わたしはわたしの重ねてきた努力を否定したくなんかないのに、かわいい卒論生と笑顔で話している好きな人を前にすると頭の中がぐちゃぐちゃになって、来世は数学が苦手な女子に生まれて好きな人に教わりたいと本気で思って枕を濡らした。
恋の相手は、よい相手だった。でもこの恋はわたしにとって、あまりいい恋ではなかった。自分で自分をどんどん嫌いになっていってしまうから。そのことに気が付いたから、わたしはもうそんなに彼と付き合いたいとは思っていない。
もう付き合いたいとは思っていないけれど、遠くの国で彼が、少しでも幸せであればいいと思う。そう思って選んだ本に、思いを託す。どうか辛い目に遭いませんように。この本が、あの人を少しでも守ってくれますように。たとえそのときわたしは傍にいないとしても。
そんな思いを託して渡す本というそれは、まるで祈りそのものだ。
二冊目の本は、宮地尚子さんの『傷を愛せるか』にしようかな、と思っている。生きていたら傷つくことはきっとあるから。そのときにどうか少しでも、苦しみませんようにと。
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