結婚したかった。だから自分の両親が離婚していることに、父と会っていないことに、母と仲が悪いことに、いつだって気後れしていた。

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私はずっと、結婚するかしないかで揺れてきた。

私が生まれ育ったのは両親の仲が悪い家庭だった。物心ついたころから両親はよく喧嘩した。私がひとり朝ご飯を食べる前で、父は母に向かって水筒を投げ、壁を壊し、玄関ドアを乱暴にめて仕事に出かけていった。3人で食卓を囲むことはないし、旅行に行ってもいつも険悪になる。私はいつも母の感情の吐き出し口になって、彼女の不満を受け止めてきた。
そういう親を見ていると、結婚に夢を見なくなる。他人だった人間同士が数十年も一緒に仲良くいられるわけがない、そんな価値観になる。私自身も両親とうまくいかなくて、子供ながら辛い思いをたくさんしてきた。だから思春期の私は結婚なんてしない、と強く決意していた。

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でも、あたたかな家庭に憧れてきた。

両親が喧嘩しないか、喧嘩しても仲直りして、お互いを労わっている家。子供が親に甘えても許される家。笑いあって家族全員で食卓を囲めて、楽しく家族旅行ができる家。
幸いにも、私の従姉妹の家がそういう家だった。だから辛うじて、結婚なんてしないと固く心を閉ざす前に、踏みとどまった。

私は自分の味方で、私をちゃんと尊重して隣にいてくれる相手が欲しかった。ひとりぼっちに耐える日々は、孤独で心が不安定だった。でもパートナーに大事にしてもらえれば、私の心が安定すると思った。それがもし結婚だというのなら、私は結婚したい。その思いがだんだん強くなっていって、だから何度か結婚前提での付き合いをしてきた。

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でも私はずっと、どのパートナーにも気後れしていた。
私の両親は正直、胸を張って紹介できる人たちじゃない。そういう両親とパートナーを法律的に結び付けて、広義の家族にしてしまうことを申し訳なく思っていた。両親とうまくいかなかった私が本当にパートナーとはちゃんと関係を築けるのか、自分でも不安だったし、パートナーにも不安をもたれるのが怖かった。

だからパートナーの前でも猫を被って、いつも明るい良い子を演じた。気後れしていたから、気乗りしない時でもパートナーの要求を拒めなかった。
そういう歪な瞬間を積み重ねてしまったから、私はパートナーに舐められて尊重してもらえなくなったし、そのうち嫌な気持ちを溜め込んで涙が出るようになった。身体が拒否反応を起こすようになって、パートナーと一緒に居られなくなった。

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最後のパートナーと別れてひとりになって、私は傷つきすぎて動けなくなった自分をやっと自覚した。
ずっと何が足りないんだろうと思っていた。私に仲のいい両親がいたら?家族仲がよかったら、こんな風に歪な関係を何度も作って傷つくことはなかったんだろうか?単に私自身が、誰かと一緒に居られるほど成熟できていないのだろうか?周囲のうまくいっているカップルや、結婚にまで辿り着いている友人たちと自分を比べて、情けない気持ちになった。

でも私に足りなかったのは、自尊感情だった。私自身の要求を自分で無視しないこと、私のこころを他人にも優先してもらう勇気、私には誰かと結婚できる価値があると信じる気持ち。自分が自分の一番の味方として大事にできていなかったから、私はきっと誰かに大事にしてもらえなかったのだ。
病院に行って、カウンセリングに行って、自分やAIと対話して、やっと私は気づくことができた。

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たしかに私には仲のいい両親もいなければ、誰かと長く親密な関係を続けられたこともない。
でもその代わりに、私は「痛み」を知っている。ずっと仲良くいることがどれだけ難しくて、尊い事なのか、身に染みてわかっている。
そういう私だから築ける関係も、きっとあるはずだ。

今は、結婚は別にできたら素敵、できなくても問題ない、と思えるようになった。自尊感情を育てていくうち、私を長く苛んだ途方もない孤独感が反比例するように小さくなっていったのだ。
自分を大事にするのを、私の人生の中で最優先事項にする。誰かと親密になる努力も、自分を一番大事にしながら続けてみるし、その結果として結婚があるならしてみよう、そういう考えになった。

やっとスタートラインに立てた、そんな気がしている。