当たり前のことだが、私たちが過ごしたあの夏はもう戻ってはこない。
それでも、色褪せずに私たちの心の中に在り続けてくれる。永遠に心に留まってくれている。そう、信じている。

自分という存在を愛せなかった彼女へ。
誰かと暮らすことへ抵抗があった私へ。
1年後の私たちは、自分の理想へと一歩を踏み出している。

あの夏、25歳だった私たちにとって、人生は果てしなかった。傷つき、悩み、涙した夜でも明日は必ずやってきた。凄まじいスピードで過ぎていく毎日を、私たちも同じように駆け抜けていた。

私が仕事で思い悩んだ日、隣には友人の彼女がいてくれた。
彼女が生きることについて深く考えた日、私は彼女の隣にいた。
つらくなったら、一緒に空を見上げた。
時には温かいコーヒーを淹れながら。時にはカルーアミルクで乾杯しながら。

◎          ◎

私は雲ひとつない青空が好きだ。
彼女には満月の夜が似合う。
「海を見に行こうか」
そう考えた翌週、私たちは特急列車へ乗っていた。青すぎる海が私たちを迎えてくれた。癒しを求めに海へ行った。それでも私たちが目を向ければ、道端には花が咲き、見上げればいつでも空があり続ける。癒しはなにも求めなくても、目の前に溢れるくらいある。私たちは自然と共に生きている。
「幸せは見渡さなくとも目の前にある」
彼女といた夏で、そう学んだ。

傷つきつつ、傷つけてしまい、誰かを想っては、心の拠りどころを探す。
誰かを愛すには不十分な自分と、それでも誰かを愛したい自分だって存在する。

自分の好きなものに囲まれ、自分の好きなことを「好き」と言い、自分に優しい言葉をかけ、自由にありたいように過ごす私を見て、彼女は言う。
「あなたといたら、私も私を愛することができるようになったよ」

彼女はというと、私の住むアパートで読書をしたり、お昼寝をしたり、ご飯を作れば「美味しい!」と言って食べてくれて、私が掃除を始めても、洗濯をしていても、なにも気にせず自由気ままに、そこにい続けてくれた。
この先、誰かと暮らすことを想像できなかった私に「人と暮らす安心感」を教えてくれたのは紛れもなく彼女だ。

◎          ◎

私たちが一緒に過ごしたあの夏。
「もうこの日々は戻ってはこない」
互いにそう思っていたからこそ、私たちはあの夏を全力で生きた。
今は今でしかなく、あの頃の私たちには、このひと夏が永遠の宝物のように思えた。

1年後の夏。
今を全力で生きてきた私たちには、未来を見据える余裕ができた。空間ができた。
今、私たちの隣には互いのパートナーがいる。自分を愛した結果、その相手を愛せていて、安心感を知ったからこそ、その相手と暮らすことができている。
私たちはもう、互いの人生を歩き始めている。

思い出は、思い出のまま。
色褪せることはない。忘れたくない。忘れはしない。宝物として、仕舞っていい。私たちのひと夏の物語を、思い返し、振り返り、懐かしんでいい。
けれども、心の中でいつでも逢いに行けるのだ。

もう戻らない、あの夏に。