触らないつもりが触ってしまう。半日の挑戦で見えたドーパミン中毒

まず、寝坊をした。私はいつもスマホのアラームを使っていたからだ。
9時過ぎくらいに自然と目が覚めたのだった。思えば、目覚まし時計の使い方も、ストップウォッチの使い方もいまいちよくわからない。確認しておかないと。
ベッドの中で、起き上がるかまだごろごろするか迷いながら、スマホに手を伸ばそうとして、「おっと、今日はやめておくんだった」と思い直した。
そう、この日は、スマホから隔絶して生活してみようと前日から決めていたのだった。
今回は、とある休みの日の、「スマホから離れてみた」体験記を書きたいと思う。
この日は、1日休みで、特に外出の予定はない日であった。
緊急のLINEやメールでの連絡はPCでできるようにしておく。また、YouTubeやサブスクもPCからアクセスすることができるようにしておいた。だらだら観るのではなくて、能動的に選んで、ドラマや映画を観るのはありだろうと思ったからだ。
午前中は、PCで日記を書いたり、資格の勉強をしたりしていた。
特に、その前日まで旅行をしていたので、旅行の内容・情報について書き留めていた。
ただ、ここで写真を見返せないのがネックになった。メモやパンフレットを参考にして、行った場所について思い出しながら、なんとか書いていた。
ご飯を食べて、昼寝をする。私にとって昼寝は、休みの日のルーティーン。
アラームをかけようと思って、目覚まし時計を引っ張ってくるが、普段使わないために、電池が少なくなっていることにこのタイミングで気が付く。
結局、体内時計に任せることにする。
数時間後に目が覚める。運がいいことに、寝すぎることはなかった。
起きて、午前の作業の続きをする。
少し休憩を取ろうと思ったタイミングで、何をすればいいのか困ってしまった。普段だったら、SNSかスマホゲームに使っていた時間。結局、リフレッシュ方法もなくて、作業を進めることにしたのだが、いまいち集中できなかった。
午後4時頃、母からスマホに通話がかかってきて、さすがに避けられずに応答した。
家事を頼まれた。
これが引き金になって、スマホを触り始めてしまった。頼まれた家事をしていると、なんだか寂しくなって音楽やラジオを聞きたくなったのだ。私はいつもBGM代わりに漫才を聴いているので、それがないと落ち着かない。
家事が終わって気がつくと、スマホゲームを始めていた。……意志が弱かったか。
ただし、一応スマホを触らないようにしたいという気持ちはあったので、それ以降もSNSだけは見ないようにした。特に最近、TikTokに時間を溶かしてしまうことが多かったので、やめようと思っていた。そのため、「気がついたら1時間経っていた」というような事態は避けることができた。
半日程度は、なんとか触らずにいられた。
ただ、自分がいかにスマホに依存しているかについては自覚できたが、その状態を抜け出す方法については、あまり見えてこなかったという印象だ。休憩時間に何もできなかったことがそう。既にドーパミン中毒のような、すぐに得られる快楽を求める癖がついているのかもしれない。よくないなと反省する。
また今回は予定や外出のない日であったが、予定のある日には、スマホを触らずにいるのは、さらに難しくなるのだと思う。駅の乗り換えを調べたり、地図を見たり、写真を撮ったり。しかし乗り換えや地図だって、本来代替手段があるわけだから、スマホ即ち悪ではないが、他の手段を使えるようにしておくのも生活の知恵かもしれないと感じた。
高校生のときは、勉強に部活に行事に忙しくしていたので、スクリーンタイムが数十分の日もたくさんあった。このスクリーンタイムの短さが自分にとっての自慢であって、15分だったんだ!と言って周りの学生を戸惑わせたこともしばしば。
それが、大学生になって、受験時ほど忙しく勉強をする必要性がなくなったこともあり、反動もあってか、スマホを何時間も使うことも出てきてしまった。
受験のときほど明確で客観的な目標を持つことが困難になって、時間をかけて何かを達成しようと努力することが難しくなっているような気がする。だから、目先の快楽に手を伸ばしてしまうのだ。
もちろんスマホを利用することは悪いことではないが、スマホに利用されて安易な方向に流れてしまうのは避けたい。時間の使い方について長期的な見通しを立てることができれば、スマホとの上手な付き合い方も見えてくるのかもしれないと思う。
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