「くだらない」と一蹴された小さな夢。思い込みが自分を苦しめていた

中学2年生の時、全校文集に載せるために私が書いた作文のタイトルは「将来の夢を持ちたい」だった。
30代になった今、久々に文集を開いてみたが「考えていること、変わってないじゃん」と思った。
10代、20代、30代と年齢を重ねても、「夢」がない自分に変わりはない。そんな自分はつまらない人間で、夢を語る友人たちが羨ましいと思いながら生きていた。
とはいえ、人と出会う機会が増え、私のような人も少なくないと知り、徐々に悩まなくなった。けれども私の心の奥底に眠っている潜在意識は、「夢を持つことは良いこと」という感覚を覚えている。
時折、その意識が顔を出して「夢を持たない自分」を責めてくる。いわゆるコンプレックスとして、心の中に傷が残っていることに気づかされる。
人生の中で夢を持たない人が頭を抱える第一関門は、高校受験だ。
中学校までは受動的に生きていてもなんとかなるが、高校進学では「選択」という能動的な行動を取らなくてはならない。夢がある友人は、大学を見据えて附属高校を志望したり、高専に進む選択をしたり、私にとって大きな壁を軽々と越えていく。
そんな中、私はなんとか第一志望にしたい高校を見つけた。選んだ理由は、当時よく観ていた音楽番組の収録現場に近いからだ。
音楽を聴くことは当時の私の唯一の趣味で、いつか生で音楽を聴きたい、ライブに行きたいと思っていた。
しかし当時は千葉に住んでいて、東京に出るのに片道3時間かかった。だから県内で東京寄りの高校に進めば、いつでも生の音楽が聴けると考えたのだ。
正直に母に伝えると、「くだらない」と一蹴された。
自分でもくだらない理由だと自覚していた。けれど、そんな理由しか思いつかないのだから仕方ない。結局、偏差値が足らずその高校は諦め、千葉の山奥にある高校へ進学することになった。
高校生になるとライブに行く機会は増えたが、東京まで片道3時間かかるので、ライブの途中で帰らなければならないことも多かった。子どもだから気軽に宿泊もできない。
アンコールの途中に帰るという悔しい思いを何度も経験し、「将来は思う存分ライブに行ける東京に絶対住みたい」と強く思うようになった。
そして現在、私は東京に住んでいる。先日行ったライブ会場は自宅からドアトゥドアで30分の距離だった。アンコールまで楽しめたし、帰りは散歩しながら余韻に浸って帰宅した。
そして歩きながら気づいた。
--あれ? 私、「将来は思う存分ライブに行ける東京に絶対住みたい」って夢を、今叶えてる?
「ライブに行くために東京に住みたい」という願望を、自分の中でくだらない願望だと決めつけていた。夢とは壮大なものや、誰かの役に立つ社会貢献に繋がるものが正しくて、自分が楽しく生きるための小さな願望は「夢」と呼んではいけないと思い込んでいた。けれどもその思い込みこそが、自分を苦しめ、コンプレックスとして心に傷を残していたのだ。
そして今、東京に住んでライブを思う存分楽しんでいる自分は、いつの間にか夢を持ち、いつの間にか夢を叶えていたのだと気づいた。
この事実に気づいてからも、大きな夢を語る人をすごいと思う気持ちはある。しかし以前のように羨ましいとは思わなくなった。小さな夢を持てる自分は、その分たくさん夢を叶えられるし、既に多くの夢を叶えているからだ。
東京に住むことやライブに行くこと以外にも、旅行をすること、近くに図書館がある家に住むこと、定時で仕事を終えられること……。
「夢がない」というコンプレックスは、いつの間にか「小さな夢をたくさん叶えられる」というアドバンテージに変わっていた。
これからも小さな夢をたくさん持って、叶えていこう。
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