「もう好きじゃなくなった」

一瞬何を言われたのか分からなかった。
私の脳内はその言葉を処理するのにずいぶん時間がかかった気がする。

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9ヶ月付き合った彼氏だった。
学生時代の恋愛とはいえ、お互いに大学3年と4年。将来どこで働くかという話も出ていて、私の卒業を待ってから一緒に暮らす、ひいては結婚を考えていた。

だが、その考えは彼の一言で砕け散った。

彼は公務員の道を選び、地元に帰るか大学のある北海道に残るか悩んでいた。どちらの試験にも合格していたのだ。

悩んでいたのは知っていたから、「1年くらい遠距離したっていいよ」、「どっちにしたって今みたいな頻度では会えないし、私はあなたの行く先に合わせるよ」と言っていた。私も卒業したら彼と同じ場所で働きながら暮らそうとしていた。

彼の地元も北海道もどちらも私の地元からは離れているけど、彼と一緒ならやっていけるという謎の自信があったのだ。

これから彼は卒論を出して、卒業祝いに私と一緒に函館に行く計画があった。
函館旅行の計画は私がほとんど進めて、あとはバスと宿を決めるだけ。
そんな年明けに彼は私の家に来て、別れ話を切り出したのだ。

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わけが分からなかった。これからもずっと一緒にいられると思っていたのに、なんで「別れよう」って言うの?

私は泣いてすがりついた。今思えば惨めだった。
「なんで?」、「旅行は?」、「この先も一緒に暮らすって言ってたじゃん」。私の問いに、彼が正面から向き合ってくれることはなかった。

交際は彼からのアプローチだった。「もうこの先なおこ以外の誰とも付き合う気はない」そう言って私を抱きしめた。今でもよく覚えている。

しかし、交際期間中、これといったデートや旅行はしなかった。彼が、周りに私との関係を隠したがったからだ。
私は憧れの先輩と付き合えたことで幸せだったから、他のカップルがしているようなデートができなくても仕方ないと思った。でも、不満は蓄積していた。

相手は4年生。就活も卒論も実習もある。忙しいのは分かってたけど、もう少し私に時間を割いてほしかった。たまに、私は映画館に行くことや彼の誕生日に遠出することを提案したが、却下されてしまった。

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残ったのは私と彼の肉体関係。それさえあれば最低限付き合っていると言えると思っていた。私の付き合うことに対する幸福度はどんどん下がっていたが、見ないふりをした。

だって、これを乗り越えれば2人で一緒に旅行できる。卒業したあと、結婚も考えられる。そう思えば、ふとよぎる肉体関係だけという不安も拭うことができた。

しかし、切り出されたのは別れ話。
私は、「私が納得する理由が聞けるまで別れない」と食い下がった。そして出てきた言葉が、「もう好きじゃなくなった」だった。

「いつから好きじゃなくなったんだろう?」

私は考えずにはいられなかった。でも、それを彼に聞いてしまえば、残るのは惰性で付き合っていた期間とその間もあった肉体関係の虚しさだけだった。
納得したフリをするしかなかった。

何もなかったかのように私の家を出ていった彼をよそに、私はしばらく涙が止まらなかった。

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私のこの期間は何だったんだろう。
大事にしてもらえるって信じていたのに、大事にされてなかったじゃん。

友人や先輩たちに別れた愚痴を言っていると、その中のひとりが「なおこを大事にしてくれる人を探すんじゃなくて、なおこが自分を大事にするんだよ」と言った。

ストンとその言葉が心に落ちてきた。
たしかに、私は大事にされたい思いだけで、自分を大事にしてこなかった。大事にするということを相手に任せてしまった。

そこからの立ち直りは我ながら早かった。
まずは「一緒に行こう」と言われていた函館旅行に自分ひとりで行った。初めての一人旅。
展望台から見る100万ドルの夜景は、ちゃんと綺麗だった。

「なんだ、1人で見ても綺麗じゃん」
なんとなくそう思った。翌日も函館観光を満喫し帰宅。
美味しいものもたくさんあったし、綺麗な建物もたくさんあった。何より、楽しかった。

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自分が自分を大切にすることがどれだけ自分に幸せをもたらすか、実感した。
相手を思いやることも大切だけど、まずは自分を大切に。それが私のつらい恋の先にあった答えだった。

自分を大切にしていると、なぜか周りの人も自分を大事にしてくれる。その中のひとりが今の夫であることも、この教訓が正しいと補完してくれる気がしている。

私は彼と別れたあの日から自分のことを大切にして生きている。それが今の幸せにつながっていると確信している。