あの頃の私は、常に息が浅くなっていたのだと思う。

話しても「オチがないからつまらない」と無視され、交友関係に口を出され、「俺を優先しろ」と指示される。私が考えや意見を口にすれば、人格ごと真っ向から否定された。

私がこんな関係続けたくない、と話せば「奥さんがいるけど、互いに愛し合っていないから」「時が来たら離婚するから、もう少し待ってて」
そんな耳障りのいい言葉をささやかれた。

気づけば私は、じわじわと自分の言葉や感情をどんどん押し殺していた。

「私ってそんなにつまらないのかな」「私が悪いんだから、もっと頑張らなきゃ」

そんなふうに心の中で、ずっと自分を責め続けていた。

◎          ◎

私は彼から離れることができなかった。強がりの裏に見える孤独な姿が、どうしても気になってしまったから。

「誰も自分を気にかけてくれない」

そうこぼす彼に、私はいつも心からの励ましの言葉をかけた。

「あなたが頑張っているかっこいい姿、いつも見ているよ」

彼が少しずつ嬉しそうに笑ってくれる姿を見て、「私だけは彼を守れるのかもしれない」と思い込んでいた。

彼は学校の先生という立場だったこともあり、憧れや尊敬の気持ちも強かった。
でも本当は、依存と執着が入り混じった関係だったのだと思う。心が削られても、彼を放せない自分がいた。私だって、独りぼっちは嫌だった。

そうして7年の月日が経過した頃、ようやく私は周りの説得を受け、逃げるように別れることになった。

◎          ◎

別れたからといって、すぐに自由になれたわけではなかった。彼と離れたあとも、心の奥に残った痛みはしつこく私を縛りつづける。「やっと自分に戻れた」と思えるようになるまで、途方もなく長い時間が必要だった。

そんな私を少しずつ癒してくれたのは、いくつもの素敵な出会いや出来事だ。

地元を離れ、遠くで穏やかに暮らす日々。
カウンセリングで根気強く自分に向き合った時間。
新しい趣味と、それらを一緒に楽しめる友人たち。
私が悩んでいても、一緒に同じ方向を見て、ともに考えてくれる旦那。

それらが何年もかけて、少しずつ私の心をほどいてくれたのだ。

◎          ◎

長い時間をかけてようやく気づいたのは、あの恋が私に「強さ」と「優しさ」を残していったということだ。

たとえば、友人からの返事がなかなか来なくても、「今はきっと心がしんどい時期なんだろうな」と考えられるようになった。
誰かが心の痛みを打ち明けてきたとき、まずは否定せずに、ただ共感を示すことが自然にできるようになった。

そして、人を傷つける行動をとる人を見ても、「なんてひどい」と怒るより先に「かわいそうに」と、哀れみの目を向けられるようになった。

あのときの苦しみは、私の中に確かに根を残している。
でもその根は、他人に寄り添うための土台にもなっている。

◎          ◎

あの恋を経て、私は「人にやさしくありたい」と思うようになった。
つらい恋のさなかにいる人を見ても、決して否定せず、「あなたの感じている痛みは確かに存在している」と受けとめたい。

恋は時に、心を削り、自分を見失わせ、人生をめちゃくちゃにする。
けれど、その痛みの向こうにしか見えない景色がある。

私はそのことを身をもって知ったからこそ、いま隣にいる人や、これから出会う誰かと、もっと大切に、もっと穏やかに、関わっていきたいと思える。

◎          ◎

誰にも彼との関係を相談できなかった、中高生の頃の私。夜、お風呂場で声を殺して泣いていた自分。親に気づかれないように、手で口を押さえて。

あんな大恋愛、二度としたくない。誰も経験しちゃいけない。私の大切な時間をみんな返してほしいと、今でも彼に対して恨むほどだ。でも、永遠に帰ってこないことを私は知っている。

あの頃の私にできることがあれば、私はただ強く抱きしめてやりたい。「大丈夫」とも「頑張れ」とも言わない。ただ黙って、ぎゅっと。

あの時の私がいたから、今の私がいる。