コンプレックスはいろいろある。背が低いこと、運動神経が鈍いこと、要領が悪いこと、整理整頓ができないこと、などなど。それらをアドバンテージに変えるのは難しい。でも、コンプレックスのある私を認めてくれる人との出会いが「私でもやっていける」という気持ちにさせてくれた。

◎          ◎

私はおっとり型で、小さいころから流行に乗れず、ちょっと人から離れてわが道を行くタイプの子どもだった。本心では、クラスの中心にいる活発で楽しそうな人の輪に入りたいと思っていた。コミュにケーション力に長けたクラスのヒーロー、ヒロインを「いいな」と思いながら集団の外にいたのだ。話し上手になって脱皮したい自分を感じていたと思う。本が好き、学校の図書室が好きだったので、似たような人がいれば話しかけることはでき、私なりの人間関係はあった。

そのうち高校生になり、クラスメイトはみんな県内の違う地区から通って来る人。知り合いがいない中、「自分から動かないと友達は増えない」と決心する。でも活発できらきらした人に私が前のめりに話かけてみても、共通の話題が見つからず数回の言葉の往復で終わってしまう。「また」と去って行く相手を、寂しく見送ったものだ。

◎          ◎

しかし、高校を卒業し浪人が決まって予備校に入った時、「自分とテンポの合う人を探して話した方が楽」と考えを変える。「私から話しかけなければ、誰も私に話しかけてくれない」という意識を持ちつつ、授業初日に近くの席にいた落ち着いた雰囲気の女子に声をかけた。彼女はたまたま本が好き、図書室が好きという人で、よく考えてゆっくり話す人。途切れがちな私の話もよく聞いてくれた。彼女とは別々の大学に行ったが、それぞれ人生の節目をいくつか越えた今も、縁あって友人として顔を合わせる。

20代でフランスに語学留学した際、私は落ち着いて周りを観察するようになっていた。私よりフランス語ができるのに、にこにこしてたどたどしい私の話を聞いてくれるノルウェー人の女性と知り合い、友達になる。彼女のほうでも、異文化との出会いが面白かったのだと思う。「自分の話を聞いてくれるなんて」と嬉しく思ったことを覚えている。その後、彼女をノルウェーのオスロの自宅に訪ねたこともある。基本親切で、大らかに人を受け入れる彼女の態度には、今も心から感謝している。私がハイキングが好きだと言うと、「私も」と郊外の野山の美しい景色を見に連れていってくれた。

そんな友人たちからの刺激で、私自身も基本正直に、誠実に振る舞うことを心掛けるようになった。飾らない誠実な友人、それが私の財産だ。

◎          ◎

一時期私はパートナーからDVを受け、逃げて居所を隠したので人間関係をかなり制限した。「何で私がこんな目に?」と精神的に不安定になり、それっきり音信不通にしてしまった人もいる。仕方なかったとはいえ、今でも悪いと思っている。ただ時が過ぎ、またそのままの私を受け入れてくれた人とは、再度縁が繋がった。

基本的な私の性格、引っ込み思案でテンポや考え方がマジョリティーとずれてしまうところは、今も変わらない。好きな音楽の話をすればストリートミュージシャン出身のジャズバンドだったりするので、そのミュージシャンがメジャーデビューしていても、周囲で知っている人は少ない。ただ、私が嬉しそうに話すのを聞いてくれる人たち傍にいる。

「そのままの自分で振る舞い、それを受け入れてくれる人と一緒にいる」という姿勢は、コンプレックスに端を発して、今私を支えてくれるものだ。そんな静かな縁を大切にしたい。