求められていたのではなく、押し付けられていたと気づいたあの時から

私のコンプレックスは、自己肯定感が異常に低いというところです。
日本人は全体的に自己肯定感が低いと言われていますが、私も例にもれずそうでした。
けれども、小さい頃は何も恐れるものがなく、「私が一番、何でもできて可愛いんだ」と思っている時期もありました。それはそれで、すごいことだったのですが…。
では、なぜ今はこんなに自己肯定感が低くなってしまったのか。自分でもはっきりと原因はわかりません。ただ、親や友人と過ごす中で「これ、わがままかもしれない」と思う場面が増え、少しずつ自分を抑えるようになっていきました。
小学校時代、私は毎年のように学級委員に選ばれていました。当時は「私って選ばれてるんだ」と思っていましたが、ある日、夕方に友達が話している声が耳に入りました。
「めんどうだから、えまにさせとけばいいよ」
「本人も喜んでするし」
さらに、ちょっと好きだった男の子から「お前、自分のいいほうばかり選んでないで、みんなの意見を聞けよ」と言われたこともありました。
そのときに思ったのです。
「ああ、私は求められていたんじゃなくて、押し付けられていただけなんだ」
「私の決定は、周りに喜ばれていなかったんだ」
そう気づいたときから、前に出るのが怖くなりました。
親もまた、私が自分の思い通りに動かないと大声で否定し、私が大声で言い返しても覆ることはありませんでした。次第に言い返すことをやめ、「私さえ我慢すれば」と思うようになりました。
やがて自分の意見を持つこと自体が怖くなり、人に伝えることもできなくなりました。すると何か悪いことが起きるたびに、「私がそんなことを思ったからだ」と自分を責めるようになっていきました。
小学校高学年のとき、クラスには3つのグループがありました。私はどのグループのリーダーとも仲が良く、いろいろなグループを行き来していました。
しかしある日、3つのうちの1つのリーダーがいじめられるようになり、その後も数週間ごとにリーダーが交代で標的にされました。次は自分の番ではないかと怯え、特にグループを行き来していた私は、人一倍恐怖を感じていました。
結局、私がいじめられることはありませんでしたが、その経験で「人の悪意」におびえるようになったのです。
「雨が降ったのは、私が出かけたから」
「浮気されたのは、私が十分でなかったから」
すべての悪い出来事を自分のせいにする——そんな負のループに陥り、この考え方は一生変わらないのだとあきらめていました。
しかし、大人になってから入ったコミュニティで転機が訪れました。
相変わらず自己肯定感が低く、人に嫌われないように多数派に合わせ、自分の意見を出せない私に、コミュニティの仲間たちはこう言ってくれたのです。
「自分の意見を言ってもいいんだよ」
「多数決で多いほうが、必ずしも正しいわけじゃないよ」
その環境に支えられ、少しずつ自分の思いを言葉にできるようになりました。
コミュニティの人たちは本当に温かく、わざわざ他県から会いに来てくれる人もいれば、私が上京するときには迎えに来て案内してくれる人もいました。みんながそれぞれに自分の意見を伝える姿を見て、私もようやく自分を出せるようになってきたのです。
自己肯定感の低さは、私がこれまで過ごしてきた人生の結晶です。
「私なんて何の役にも立たない」「人の邪魔になっている」そう思うのは、環境や出会った人、そして自分の受け止め方がつくった価値観にすぎません。今では少しずつ、「ありのままの私でいい」と思えるようになりました。
もちろん、長年染みついた考えは今も頭をよぎります。けれども大切なのは、「不都合な価値観にまず気づくこと」。無意識に思い込んでいた「こうでなければならない」が緩んでいくと、少しずつ生きやすくなりました。
私はこれまで、気づけばいつも他人の気持ちを優先してきました。誰かに頼まれると断れなかったり、周りの期待に応えようと頑張りすぎたり…。そのうち、自分が本当はどうしたいのか、どう感じているのかがわからなくなってしまって、心がモヤモヤすることが増えていきました。
我慢して相手に合わせても、なぜか罪悪感が湧いてきてしまう。「もっとちゃんと応えなきゃ」「迷惑かけちゃいけない」って、自分を責めてしまうんです。そんな自分が苦しくて、でもどうしていいかわからない。今思えば、そういう考え方は、育った環境の影響が大きかったのかもしれません。「役に立つ人でいなきゃ」と思い込んでいたんだと思います。
でも最近、少しずつ「私はどうしたい?」「今、何を感じてる?」って、自分の気持ちに目を向けるようにしています。最初は戸惑ったけれど、少しずつ心が軽くなってきました。わがままに見えるかもしれないけれど、自分を大切にするって、すごく大事なことなんだなって気づいたんです。むしろ、自分を大切にしている人のほうが、周りからも自然と愛されている気がします。
これまでの私は、誰かのために生きてきた。
でもこれからは、自分のためにも生きていく。
自己肯定感が低い私だからこそ、気づけた優しさと強さを、アドバンテージにして。
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