初めての私だけのキッチンは、6.7畳のワンルームの玄関から部屋にかけての廊下にあった。

社会人一年目の冬、初めての一人暮らし。部屋探しには結構こだわりを持って頑張ったけれど、唯一妥協したコンロの数、一口。収納も簡素なものだけ。窓もなく、光は差さない。昼でも薄暗くて手元が危ないので、料理をするときはいつもシンクの上の蛍光灯をつけていた。蛍光灯がつく時のピンッパパパッという細やかな音と共に、無機質に照らされる銀色のキッチン。キッチンというより、台所という言葉の方が似合うような雰囲気ですらあった。ずっと不便で、暗くて寒くて、ここの部屋は好きだけどキッチンだけは変えたいなぁなんてよく思っていた。

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転勤で引っ越した後のキッチンは、私が言うのもなんだがとても広い。会社から補助が出るので、相場よりも高めの部屋を借りた。そのおかげでかなりキレイで大きいキッチンがついてきた。初めて暮らした家で使っていたキッチンマットを敷くと、端から端までカバーできない。水回りを優先するか、油周りを優先するかを悩んで後者にした。コンロはなんと、三口だ。スープを煮込みながら主菜と副菜が作れる。画期的だ。その上、魚焼きグリルまでついている。正直に言って、不満はない。私にとっては十分すぎるほどに贅沢なキッチンだ。
それでもたまに、あの蛍光灯に照らされた狭いキッチンを思い出す。初めて作ったのは、確かポトフとハンバーグだった。作ったはいいものの、机と椅子がなくてダンボールの上で食べた。一口コンロに鍋を置いたままだと何もできないので、IKEAで買ったキッチンワゴンの上にスープの鍋を置いてから主菜を作るのが、私の料理スタイルだった。

引き出しがないので、カトラリーをお気に入りのカップに入れてキッチンに並べていて、なんでも手が届く範囲にあった。日が差さないので、根菜類を常温で置いておいても腐ったことはなかった。不便ながらも色々と工夫を施し、レンジや電気ポットなども使って毎日それなりに料理をしていた。

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初めの方はよくスープを作りすぎてしまい、毎回消費が大変だった。そのことを先輩に相談すると、うどんを入れちゃえばいいんだよ!と言われて目から鱗が落ち、実際に試してさらに感動したこともあった。狭いキッチンのくせにスコーンを作り、銀色のキッチンを真っ白な粉まみれに変えたこと。自家製餃子を冷凍のまま火にかけ、水を加えた途端一瞬火柱が立って怖かったこと。トマト缶のフタをあけて、キッチンにちょっと置いておいたら数分で丸い形にサビが残ってしまったこと。数えきれないくらいの料理の思い出が、あのキッチンに詰まっている。
退去の日、来てくれた母と一緒に狭いキッチンを頑張ってピカピカに磨いた。トマト缶のサビだけはどうしても綺麗に落とせなかったけれど、蛇口やシンク、たった一つのコンロも入居した時よりも綺麗になった。もうここで料理をすることもないんだな、と思うとかなり寂しくなった。狭くて、暗くて寒くて不便で、蛍光灯をつける音が小さく響く、あのキッチン。もう今は別の人が使っているであろう、離れてから好きだったことに気づいた、あのキッチン。この先色々なキッチンで料理をすることがあるかもしれないけれど、きっと私の料理の原点として、私の中でずっと残り続けるのだろう。あの、無機質な色の蛍光灯に照らされたままの姿で。