私は、自分が自分の「理想の自分」でないことがコンプレックスだった。

初めてコンプレックスを感じたのは、小学生の時だ。(私の家は、友達のお家みたいに広くない。人を呼べない)、そう思っていた。

洋服を満足するまで買ってもらえなかったこともコンプレックスだった。ある時、長袖のパーカーのチャックをすべて閉じて着ていたところ、お洒落な親友に、「その下何着てるの?」と聞かれた。今振り返ると、小学生らしい変な質問だが、当時の私はすごく恥ずかしくて、「見せられるようなもの着てないから~!」と明るく言ったが、下に着ていたものは本当に適当なものだったので、本当に恥ずかしかった。

中学生になると、異性に好かれたりして、自己肯定感は上がるかと思いきや、上がらなかった。クラスのかっこよくて、運動神経抜群で、歌もうまくて、踊りもうまい男の子に告白されたが、(私じゃ釣り合わない)と思い、断った。彼は、私の好きなところとして、「万能なところ」と思っていたようだが、私は、(歌も踊りも下手だし)と、自分の出来ないところばかり見ていた。

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高校生になると、少し様子が変わった。近所の私立高校に特待生として入学したため、成績は常に一番だった。容姿は恵まれていて、運動も平均より少し出来るため、先生たちは驚いていた。

だが、通っていた塾では、都内の進学校に通う子の中に混じって授業を受けていたため、古文の先生には、授業中、遠回しにしつこく嫌味を言われていた。

美人で、運動が出来て、お金持ちで、家が広くて、歌も踊りもうまくて、勉強も出来て……、そんな完璧な理想の自分を追い求めていた。

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転機は、大学受験の多浪中から精神科に通うことになったことだ。21歳から通い始めて、今年で9年目になる。

主治医は9年かけて、少しずつ、少しずつ、私の認知のゆがみを直してくれた。

「いっつも高い目標を掲げてる。それがいつも邪魔してる」、「理想の自分と今の自分にギャップがあるのは、桜さんくらいの年齢なら当たり前の事。かわいくなりたいなら髪巻くとか、頭良くなりたいなら勉強するとか、皆何かやってるじゃない。落ち込む時じゃない」等々。

現在は、あまり「理想の自分」をギチギチには考えなくなった。現在私は無職で、キラキラした女性とは程遠いが、「そもそもキラキラって何?」と思っている。究極のところ、太っていても私には価値があるし、貧乏でも私は私だと思っている。

昔は、自分には常に何かが足りない意識があったが、今は、有るものを数えている。大学で文学を勉強したことや、美人のポテンシャルはあること、頭の回転だってピカイチではないが早い方だし、手先が器用で、思いやりがある。

今は、自分の良いところを無限に言える。体調の波で、悲観的になることもあるが、「持病があるから稼ぐのが難しいな、どうしよう」というように、途方に暮れるだけで、持病がある自分を責めることはない。

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やはり、精神科の主治医のおかげで、自己肯定感が高まったと感じる。

私の場合は、容姿などの造形ではなく、「理想の自分」という存在し得ないものに対してコンプレックスを抱いていた訳だが、コンプレックスというものの克服の仕方は、どちらの場合でも同様であるように感じる。

コンプレックスの克服の仕方は、誰かに根気強く、自分の認知のゆがみを直してもらうことだと思う。誰かとは、彼氏でもいいし、親友でもいいし、専門的な大人でもいい。親にうんと愛されても、学校でコンプレックスを抱くようになることはあるし、また、王道に親が一番の味方な人もいると思う。

大事なのは、信頼する人の言葉を繰り返しくことだと思う。言葉を繰り返しくことで、だんだんわかってくる。そう、だんだんと。