「何でこんなことも出来ないのだろう」
これが最近の私の口癖である。大学受験では大失敗し、バイトでは、任されたレジを何回も失敗し「なんで、できないの」と怒られる。大学ではいじられキャラで変人扱いされ、挙句の果てには、周りの友達が楽々取っていった単位を私は、勉強しても落としてしまう。思い出していくときりがないくらいの失敗の数々。出来るかもと自分に少し期待していた分、失敗することに対する反動は大きくて、出来て当たり前のことや同じことで失敗する自分が嫌になる。
このような失敗経験から自分に自信が持てなくなり、周りの人はこんなに自分よりもいろいろな事が出来るのに自分は何もできない、何も持ってない、と思うことが多くなった。
そして、こんなことばかり悩んでいた私は、いつしか「自分が出来て当たり前のことは他人が出来て当たり前」と心のどこかで思ってしまい、成功するどころか前よりも失敗を繰り返すようになっていった。そうなってしまうと悪循環で何かやろうとしても「どうせ自分は」と思ってしまい何も手につかなくなってしまう。でも心のどこかではまだ自分のことは完全に諦めきれてなくて、いつか自分にしかできないことを見つけて成功してやると考えていた。しかし、実際失敗して、自分はダメなのだということを目の当たりにするのが怖くて挑戦することはできなかった。
私は、自分が自分から逃げていたのかもしれない
そんなある日、私が尊敬している友達と電話で通話していると将来の夢の話になった。その子は自分のやりたいことが見つかっていて、夢にむかってすごく努力していた。私の話になり、私が自分なんか失敗ばかりで何をやろうとしてもうまくいかないことを伝えると真剣な声で「小桜は自分が思っている以上に駄目じゃないし、負け癖がついているのが一番よくない。何か自分が本当にしたいと思っていることに挑戦して本気で頑張ってみて」といった。
その言葉を聞いた瞬間全身に衝撃が走った。
今まで、頑張れという言葉もたくさんかけられたし、努力が足りてないだけともたくさん言われてきた。今までの人とは違い正確に自分のことを言い当てられ、自分でも心のどこかで思っていた分、そんな言葉よりも友達がくれた言葉が胸に刺さった。
そうだ。私は、自分が自分から逃げていたのかもしれない。そしてそんな自分を正当化したかったから、自分の失敗ばかり数えて、私は周りと比べてこんなことも出来ないのだから、仕方ないとどこかで落とし込めていたのだと思う。
自分に素直になってみると案外答えらしきものは身近にあった
背中を押された私は、自分に何が出来るのか、自分は素直にどうしたいのか考えた。失敗する、しないに限らず何か本気に挑戦したい事は何か。このままだと何も変われない。そうして、自分に素直になってみると案外答えらしきものは身近にあった。
私は、小さい頃から自分の考えや思いを文章で表現するのが好きで、小学校のころの卒業文集で先生が私の文章を褒めてくれたこと、つい最近大学で、自分の思いを書いた文章が先生から皆に紹介されたのが嬉しかったのを思い出した。自分の心に秘めていることを文章にするのは少し恥ずかしいけど、文をほめてもらうことで他人の評価、思いを知れるというのはとても楽しい。
自分にしか出来ないこと、書けないこともきっとある
私は、自分に何ができるのかまだ見つけられてない。でも、自分の失敗や、思いを文章で発信し他の人の笑い話や、悩んでいたことが少し楽になったと思ってもらえるような文を書きたい。
また、他人と比べて、失敗して落ち込むことがあるかもしれない。いや、絶対ある。でも、自分にしか出来ないこと、書けないこともきっとある。そう信じている。
私は自分にしかない自分らしさを武器に様々な事に挑戦していきたい。