25歳のわたしはすでに、執刀医を決めていた。

分厚い蒙古壁に覆われて開きも悪く、「寝てんの?起きてんの?」と聞かれた目は目頭切開と眼瞼下垂手術。AクリニックのI先生が名医だと聞いたので、ぜひ彼にお願いしたい。

メガネがずり落ちるほど低く、「顔面から転んだことある?」と言われた鼻は耳から軟骨移植して鼻尖形成、それから小鼻縮小。これはCクリニック一択だ。

夜な夜なSNSで症例を見漁り、整形界隈の投稿をメモり、電卓を叩いて金額を見積もった。

絶対に絶対にやってやる。見返してやる。後悔させてやる。何度も心に誓いながら眠りについた。

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そして、何度もブスのまま目覚めた。

いいからさっさとやれよという話だが、自分の顔にメスを入れるのは大変勇気のいることである。よくSNSで美女が「どうせ整形じゃん」などと言われて叩かれている姿を目にするが、わたしは整形するに至った勇気を称えたいよ。

成功するか失敗するかもわからない。感染のリスクだってある。後遺症が残るかもしれない。そして何より、麻酔をしたって痛いもんは痛い。きっとみんな、踏みとどまったことだろう。何件もカウンセリングをはしごしただろう。手術をするギリギリまで悩んだだろう。シミュレーションをしただろう。

そんなところまで思いを馳せつつ、なぜわたしが整形に踏み切れなかったのか。それは、根本的な原因が顔面ではないことに、うっすら気付いていたからである。

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1番整形欲が高かったのは、ただただ会社と家の往復を繰り返し、毎晩メイクも落とさないまま、コスメと洋服の散らばった部屋で倒れるように眠っていたときだ。

質の悪い眠りから目覚めたとき、ふと水垢のこびりついた鏡に映る自分を見て「とんでもなくブスだな」と思い、そしてさらに思考は巡る。

あー、だから、誰からも愛されないんだ、と。

当時、大学時代から付き合っていた彼氏と別れ、しばらく恋人がいなかった。心には大きな穴がぽっかりと空いていて、それをインスタントなものでうめていく。やりたいのかわからない目の前の仕事や、「今日飲まない?」で誘われる友人との飲み会、数合わせて呼ばれる合コン。そんなものでせっせと予定をうめていった。

高級そうなディナーに海外リゾートでの2ショット。美人インフルエンサーのキラキラと楽しそうなインスタと、荒れ果てた自分の生活との対比が耐えられない。仕事もプライベートも何もかも充実していそうな姿が羨ましい。わたしは、満たされない毎日に理由が欲しかった。

わたしがこのぐらい美人だったら、誰か側にいてくれたのかなぁ。ブスじゃなければ、彼氏にも振られなかったのかなぁ。

指先で目頭を寄せて、鼻根をつねる。輪郭の肉を引き上げて耳下に集めてみる。インフルエンサーが愛用しているリップを唇に塗りたくってみる。痛いのを我慢して美容医療を受けてみる。でも結局、どれも無駄なことのように思えた。

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あれから7年が経ち、気付けばわたしの生活は随分と変わった。いや、変わったのではなく変えたのだ。

思い切って会社を辞めてフリーランスになり、自分が1番得意だと思えることで生計を立てられるようになった。今日やること、出かける場所、そして付き合う人。すべて自分で選んで決めていく。

そうして、小さなことから大きなことまで、自分で舵をとるようになったら、人と比べるのがバカらしくなっていった。自分のものさしに従って選んだことには責任が伴う。それはとても重いことだ。だからこそ、大切にしたいと思える。正解にしたいと思える。

満たされていなかったのは、自分がブスのせいではない。自分で何も選んでいなかったからだ。仕事も人付き合いも何もかも。自分で何も選んでいないからこそ幸せを感じられなくて、自分が幸せじゃないことを何かのせいにしないと精神を保ってられなかった。

「あのとき、自分で選んで良かった」と、自分が選んだ道が正解になっていくたびに、世界の見え方は少しずつ変わっていくのだ。たとえ、自分の顔の造形は変わらなくても、絶望することはない。置かれている状況は、自分の力でいくらでも変えられる。

朝起きて、鏡の前に立つ。そこに映るわたしは、あのころよりシミもシワも増えたはずなのに、なぜかそこまでブスじゃないと思える。