「もっと自分をさらけ出してほしかった」“良い人”が原因で恋人にふられた

30歳手前の大人になった私のコンプレックスは一体何だろう?それは“良い人”であることだ。“良い人”と聞くと悪いようには聞こえないし、「コンプレックスなの?」と疑問に思われるかもしれない。
実際仕事で関わる人や友人にも「あなたは良い人だよね~」と褒めのニュアンスで言われることが多い。確かに“性格が悪い”と言われるよりかは気分は良いのだけれど。“良い人”と言われるたび心にモヤモヤが積もっていくのはなぜだろう。最近その心の違和感が少しずつわかってきた。
人から“良い人”と言われて私はこう感じる。「嫌われたくないから良い子にしてるだけ」と。集団からはみ出すのが怖いから当たり障りのない自分で生きてきた。そして他人中心で生きてきたから、自分の本音がまったく見えない。なんとなく生きづらさが増していく。さらに厄介なのは人の役に立ちたい気持ちは純粋にあることだ。
小学生の頃、クラスの係り決めで誰もやりたがらない係りに立候補したことがある。中学生のときには体育祭のリレー選手を決めるのが難航。放課後にまで話し合いがもつれ込んだ。みんなが困っている空気に耐えきれず、走るのは嫌いだったけど引き受けてしまった。根が“ナチュラル良い人”なのかもしれない。
だけど、自由奔放に無邪気に生きている人たちに憧れる。他人からの評価を気にせず自由に表現する人たち。そしてそんな人になりたいと思った出来事がある。
半年前に恋人に振られた。理由は「もっと自分をさらけ出してほしかった」「精神的なつながりを感じられない」「好きな気持ちがなくなった」。突然そんなことが書かれたLINEが届いた。彼の決心は固く、最後に会うこともなく交際はあっけなく終わった。ショックが大きすぎて、数日間は大好きなご飯ものどを通らず眠れない日が続いた。
時間とともに次第に元気を取り戻し、私はこう決めた。「もう自分を偽る人間関係はやめよう」「他人に向けていた“良い人な自分”を私に向けてみよう」と。無理して“良い人”でいても人との信頼は築けない。何より自分の本音を無視して生きるのは自分に失礼だ。残りの人生、自分の発したい言葉、ワクワクすることを選ぼう。好きなことは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言う。
タンスにしまいっぱなしの大きな花柄が印象的なスカートがある。一目ぼれして買ったはいいものの、派手で私には似合わないかな?と思って、まだ着て出かけたことがない。休日にそのスカートをはいて、思いっきりおしゃれをして美味しいものを食べに行こう。
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