世界一美しくなれるように、私はこれからも、心と言葉を磨いていく

かがみよかがみ、あれから私は美人になれましたか?
ティーンの頃、好きな男の子とカフェテリアで顔を合わせる前に、女子トイレの鏡で薬用のファンデーションと、色がつくリップクリームを一生懸命に塗っていた頃のことを思い出します。あの頃よりも、買えるものは増えたはずなのに、最近は、お化粧を手抜きをしている気がします。
10〜15年前、とにかく自分が醜いと思われないかで必死だった頃のことを思い出します。来る日も来る日も、自分が映る鏡やショーウィンドウなどを見ていました。いつだって自分がこの世から浮かび上がっていて、変で、ゲテモノで、不思議な存在に思えました。私は、自分が好きになる人にとって、自慢できる獲得対象にはならないかもと思った時、幼い頃信じていた美しさと愛に満ちたプリンセスストーリーは終わりを迎え、その代わりに、トロフィーワイフとか、スクールカーストみたいな言葉ばかりが大きくなっていった気がします。
あの頃の私は自分のことでいっぱいいっぱいでした。あれからたくさんの時間をかけて、自分のことも、女の子たちのことも、悩み尽くして、男の子たちのことも考えるようになりました。女の子がこうしてエッセイを書いて、自分の心を見つめる裏で、男の子たちはあの頃何を考えていたんだろう、と想像することがあります。きっと彼らも悩んでいたんだろうなと思います。全能感を感じたり、罪悪感を感じたり、その振り子に彼ら自身が巻き込まれたり、私たちを巻き込んだりしながら精一杯だったのかもしれません。
私は思春期に言われた言葉を、今でも忘れずに抱きしめています。最近読んだ本に「忘れることこそ力」と書いてあったけど、到底そうは思えず、今年29になったというのに、10年、15年も前のくしゃくしゃの言葉を、大事に大事に広げながらその筆跡を辿ったりします。「ブスのくせに告ってきた」とか、「死ねブス」とか、そういう言葉ばかり思い出します。まぶたに折り目がないことと、自分が加藤ローサではないことに絶望していたころのことなどを思い出すと、最近は笑いが込み上げてきます。「ブス」という言葉は、面白いほどに人を傷つけられる、残酷で暴力的で威力絶大な武器で、思春期の彼らは手にしたそれを振り回してみたかっただけなのだろうと、今なら思います。
かがみよかがみ、私は私をずっと見てきました。私を見ることで精一杯でした。もはや、奥の奥、果ての果て、穴が開くまで、自分のことは見たような気がします。かがみの中には私しかおらず、たった1人だったように思います。いま私の前に置かれているかがみを下ろしてみると、かがみのむこうに、やっと、あなたの姿が見えてきた気がします。私は、私が見られることで精一杯でした。自分のことが嫌いで、受け容れてもらえるかがわからなくて、何もかもが怖かった。かがみよかがみ、と、何度も何度も自分ばかり確認していた。
かがみよかがみ、世界でいちばん美しいのはだあれ?
世界でいちばん美しいのは、世界でいちばん美しくなりたいと願う私だと、今なら答えられます。
かがみよかがみ、世界でいちばん美しいわたしの瞳にうつるあなたは、きっと世界でいちばん美しい。
書くことは力だと信じています。言葉とは、力だと信じています。物理的な力に勝てなくても、立場が違っても、誰も聞く耳を持たなくても、その時代の女たちが遺してきた言葉があり、私はそれを読んで大きくなりました。
時々、大人になって出会う世界が、彼女たちが遺してきた言葉と異なることに気がついて、愕然とすることがあります。ティーンエイジの頃とは違う悩みが生まれることもあります。それでも私は、次へと繋がなければいけない。最も美しいタスキを、私はつなげるでしょうか。つなぎたいと思います。 何ひとつ諦めないために、私はいちばん強いひかりを放つ、かがみになりたいと、願います。
かがみよかがみ、あれからわたしは世界でいちばん美しく、なれたでしょうか。
かがみよかがみ、わたしの心が、どこよりも澄んだ、かがみになれるように、あなたを世界でいちばん美しく映すために、私はこれからも、心と言葉を磨いていくのだと思います。
かがみよかがみ、世界でいちばん、美しくなれますように。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。