半袖を着なくてはいけない夏が大嫌いだった。
この濃すぎる体毛のせいだ。

生まれつき、体毛が濃くて多かった。自分が周りの子と比べてそうだと実感したのは、小学2年生くらいだったと思う。休み時間になると、お道具箱からハサミを取り出して、指毛や腕毛をチョキチョキと、できるだけ根本から切っていた。クラスメイトからは「ハサミで毛を切る子」と思われていたし、言われていた。でも、そんなことを言われることよりも、全身に生えている毛の方が嫌だった。さすがに学校で足を机に上げて……とはいかなかったので、足の毛は家で切っていた。

毛、毛、毛、毛。

自分はどうして他の子より毛が多いんだろう。みんなこんなに毛はないし、色も濃くない。妹たちも、同じ親から生まれているのに、私だけがこんなに濃くて多い。なんで? 私だけ、女の子じゃないみたい。

今であれば小学生でも光脱毛に通わせる親もいると聞くが、平成初期に生まれた私の子ども時代には、そういったものはなかった。あったのかもしれないけれど、田舎にはなかった。だから私は、ハサミで地道に、チョキチョキと切るしかなかった。

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肘下、ひざ下は大方ハサミで問題なかったのだが、二の腕や太ももはなかなか難しかった。普段は服で隠れているから手入れしなくても問題なかったけれど、夏には水泳の授業がある。水着にならなければいけない。いつもより毛の見えてしまう範囲が増えてしまう。

私はお父さんの剃刀を使って、入浴時にこっそり剃ることにした。ハサミより早く処理できるので、肘下とひざ下も剃刀を使って処理するようになった。見かねた母が電気シェーバーやワックス脱毛を買ってくれたが、剃刀の方が根本キワキワまで剃れるので、私は剃刀を常用していた。何度も切って流血していたので、今考えると本当に危ないことをしていた。その時の傷は、30歳を過ぎた今も残っているものもある。

脇は「抜いた方が当分生えてこなくていいのでは?」と思い、ピンセットでこまめに抜いていた。すると黒ずんでしまい、毛が生えてなかろうと、脇が見える服は着れなくなってしまった。だから部活も、脇が見えるユニフォームの部活には入れないと思い、ちょっとだけ興味のあったバスケ部は自然と候補から外れた。結局入ったのはバレー部だった。高校時代に合宿に行くときは「毛が生えているよりはマシか」と思い、黒ずみが悪化するとわかりながら脇毛を抜いていた。

◎          ◎

20年近く毛と闘い続けて、やっと脱毛に手を出したのは25歳だった。友人が通っていたエステ脱毛にしばらく通って、ようやく「そこまで入念に処理しなくても生活できる」レベルの毛に落ち着いた。それでも脇はやっぱりしぶといし、背中や肩にびっしり生えていた、そこまで黒くない、でも産毛にしては濃い毛もなかなか減らなかった。そのエステに60万ほど注ぎ込んだのち「医療脱毛だとほぼ永久に生えてこない」と知り、乗り換えた。合計8回通って、完全にはなくならなかったが、夏でも軽く処理すれば大丈夫な程度には落ち着いた。結果、100万ほど費やして、私の体毛はそこそこ通常レベルに落ち着いてくれた。

面積の大きい顔、ベース型の輪郭、エラ、低い鼻、癖毛、太い脚。

小さい頃から今まで、毛以外のコンプレックスも、もちろんたくさんあった。でも、一番のコンプレックスは毛だった。「体毛がこんなに濃くなかったら、今までの人生はどれだけ違っていただろう」と思ってしまうくらいには、間違いなく私のなかのコンプレックスNo.1だった。

おかげで、恋愛にも積極的になれない時期が続いた。良い感じになった人がいても「でも付き合ったらそういうことをするわけで、となるとこの毛は見られるわけで、見た目は大丈夫でも触られるとジョリっとしてしまうわけで……」と、付き合ってもないのに、付き合った後のことを考えると、とてもじゃないが先に進もうと思えなかった。やっとできた彼氏に腕を触られ「スベスベやね」と言われたときは、泣きそうになった。嬉しかった。体も性自認も女子だけど、初めて女の子として認められたような気がした。

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今の時代、脱毛は私の子ども時代に比べて、かなりメジャーになっていると思う。親がお金を出して、小学生くらいから脱毛をしている子もいるという。それに対して批判的な意見が述べられているのもメディアで見かけたことがある。

でも私は思う。コンプレックスを解消したい気持ちや、実際の行動は何も悪くない。それが小学生か大人かどうかは関係ない。お金の問題や限度はあるけれど、そうすることで自信が持て、生きやすくなるならそれでいいではないか。健康被害がないならいいではないか。ガヤは黙ってらっしゃい。

もうほとんど処理をしなくてよくなった私の腕に、ひょろっと一本毛が生えていた。久しぶりやなぁと思いながら、私はそれをチョキっと切った。